第捌話 ひとかたをあつめるおうち
人形収集家
「お前さんのじいさん……前館主と言った方がいいか? は、辺鄙なところのヘンテコな生まれだったと聞いている。名前もなかった。真っ黒な髪に真っ黒な目。ワシの目の呪いにも充てられない強い呪い耐性を持つ人形職人。それが前館主じゃった」
セルジュさんが話し始める。黒い髪は僕とよく似た癖毛だったらしい。以前いた辺鄙なところでは、髪を切るということがなかったらしく、頭がぼさぼさでひどい有り様だった、とセルジュさんはからから笑った。
前館主は年齢不詳らしい。ずっと少年のようだった、とセルジュさんは語った。自分でも自分が何歳か把握していなかったとか。一般常識というものがなくて、その異様な呪いへの耐性故に、呪いに自ら近づき、触れるような人間だった、と。
ここで僕が疑問を口にする。
「セルジュさんは生まれる前から呪われていたと仰っていましたけど……人形職人が呪われる、なんてあり得るんですか?」
「ふむ。アルル坊やはあやつと違って呪いに関する知識がきちんと備わっているようじゃな。育ての親がよかったか」
ちくり、と胸に棘が立つ。育ての親、とわざわざ言ったということは、僕が実の親に育てられたわけではないということを知っているようだ。
今はまず、話を聞こう。
「まず、人形職人という人種について、坊やはどういう認識でいる?」
「えっと、呪いを受け付けない体質の人々がそう呼ばれると……受け付けないというと語弊がありますね。呪いにかからない人、でしょうか」
「ふむ、まあ、一般的にはそうじゃな。ワシも呪いにはかからない体質。だが、生まれる前はそうではない。人が生まれる仕組みは理解しておるか?」
男性と女性が交わることで女性のお腹の中に赤ん坊が生まれる、ということらしい。遺伝子の話の詳しいところまでは知らないが、大体母親と父親の特性を少しずつ受け継いで生まれるのだとか。
だからまあ、髪質が似ていたマーガレットさんとは血が繋がっていると思ったんだけど。
「じゃあ、一般人と一般人の間に人形職人が生まれることがあるのは知っているか?」
「えっ、でも人形職人って劣勢遺伝なんじゃ……」
「劣勢遺伝じゃよ。でも、坊やの考える法則だと、人形職人は世界からいなくなっとるよ」
言われてみれば、確かに。
劣勢遺伝……僕の認識では人形職人の遺伝子は人形職人同士でないと子どもに受け継がれないというものだった。けれど、そうではないらしい。
人形職人の遺伝子、呪いへの耐性というのは人形職人以外の遺伝子が混じっても消えてなくなるわけじゃない。事実、人形職人でなくとも、呪いに耐性のある人はいる。それは血に混じった人形職人の成分が作用して、呪いを効きにくくしているらしい。
人形職人から生まれた人、人形職人が家系にいた人であれば、その人が人形職人でなくとも、人形職人の子どもが生まれる可能性はある。
「呪いへの耐性が強い一般人の例としては、メビウスが挙げられるのう。時を同じくして呪いをかけられたアリシアが完全に人形になったのに対し、メビウスは呪詛破壊者が治せる範囲じゃった。これは呪いへの耐性の差じゃ。メビウスの家系には人形職人の血が流れているのかもしれんな。
……と、話が逸れた。つまり、ワシの母親が人形職人じゃなかったという話じゃ」
セルジュさんの両親は人形職人の家系から一般人へと溶け込んでいった人だったらしい。だから、呪いへの耐性はある程度ありつつも、強い呪いを弾くことはできず、セルジュさんがお母さんの中にいるときに、セルジュさんは呪いに犯されたのだという。
まだ生まれてすらいない命は母親の腹の中でそれでも生き延びた。ひとえに、両親が共に人形職人の血を持っていたからだろう。人形職人の血が命を守って、歪ながらもどうにか生まれたのがセルジュさんだった。
「ワシが元々は貴族の家だったのは聞いておるかな。貴族は血を残すことと、永らえさせることを誇りとしている。現在の呪いという概念が成り立つ前も、呪いに似たどうしようもない人類の害悪的な力はあった。その影響を受けないために、強い血を子孫に入れようとした貴族は多かったのじゃ。もしくは、強い血を持っている者が貴族となった。その強い血というのが、人形職人のことだったのかもしれぬ」
「生まれる前に呪いを受けたら、人形職人として生まれても、呪いが体に残るんですね」
「はっは、ワシはかなりの特例じゃよ。両親の持つ人形職人の血が作用しても、それを越えて命を呪うほどの強力な呪いを放つ具者が相手だった」
毒眼というのはかなり強い呪いらしい。僕には何の影響もないが、義眼を嵌めていないと、そこら中のものを腐敗させるのだとか。いや、このぎょろぎょろとひとりでに動く赤い義眼も禍々しいが。
「手足は生まれた時には壊死していた。さすがは呪いといったところか。何もかもを殺さぬ代わりにワシを殺そうとした。じゃが、ワシは人形職人として生まれた」
生まれて、人という形が他者から認識されることで、体質が確固たるものとなる。もう少し生まれるのが遅れていたら、死んでいただろうな、とセルジュさんは笑った。僕は全然笑えないけれど。
呪いについてはたくさん学ぶ機会はあったけれど、人形職人についてはあまり知らない。これからセルジュさんとの交流も増えるだろうし、他にも前館主の知り合いの人形職人はいるだろう。あらゆる人種と向き合うために、それぞれの人種の特徴を知っておかなくては。
「して、アルル坊や。坊やはどうしてこんな辺鄙な山の中の館の主になろうと思ったんじゃ? 見たところ、坊やはまだ十を数えたかどうかという年頃じゃろう?」
確かにそうだ。それに、前館主の孫という存在はおおっぴらにされていなかったし、知っていたとしても、僕と前館主は離れ離れで暮らしている。普通なら、こんな呪いだらけの館に住まおうと思わない。そんな危険に身を晒すくらいなら、街で乞食をやっていた方がましだ。
僕はゆっくりと、真っ直ぐに薄紫を見据えて言った。
「僕はとある呪われた人形を探しています。女の子の人形です。その子と僕は友だちでした」
メイ。きっと、あの子に出会わなければ、母さんは、マーガレットさんは今でも生きていた。歪なおまじないを続けて、それでも僕と心穏やかに過ごせていたはずだ。呪いの人形なんて、いなければ。
でも、僕はメイを憎んでいない。憎むなんてあり得ない。出会わない方がよかったのかもしれないけれど、メイと出会って、僕の生きていく時間は色づき始めたから。僕の世界は動き始めたから。メイはいなくちゃいけない存在なんだ。
母さんがいなくなったからっていう自棄ではない。メイにまた会いたいから探す。
「その子を見つけるために、呪いの人形を集めていたことで名が知れている人形館館主の肩書きを使おうと思ったんです。……前館主という人が、本当に僕の祖父なのかは知りません。ただ、今はそう認められているので、瓦解しない限りは、あの子に会うために」
人形館にいます、と。
告げると、セルジュさんは神妙な面持ちをした。苦いものを噛みしめるような、子どもを慈しむような、哀れむような。様々な感情がその面に閃いては消えていく。
結局、セルジュさんが露にしたのは笑いだった。
「ほっほっ、血は争えんというが、そうかもしれんのう。呪いの人形を友だちと宣ったのは、前館主も同じじゃった。きっと、毒眼の呪いを虜にして抑え込むように、忌まれるものすら友と称して好く。それが自分にできる彼ら彼女らを救う方法だと、やつは一度も疑うことはなかった」
「僕は、彼女を救いたいわけじゃないです」
すっぱりと言い切った。セルジュさんがきょとんとする。
だって、僕は前館主とは違う。全然違う生き方をして、たまたま同じ肩書きを得ただけだ。
救いたいなんて、そんなたいそうな理由は僕にはない。
「どちらかというと、僕が救われたいんです」
メイが生きている。
その希望が今、僕を生かす糧。僕には大切なものが二つあって、その片方を失ってしまったから、もう片方を失いたくないだけ。
メイを探し求めるのは、メイのためなんかじゃない。僕の独り善がりだ。
「本当に……本当に、ただ会いたいだけなんです。会ってどうするのかとか、そういうのはないです。会いたい。見つけたい。そのために僕はここにいることにしました」
僕がきっぱりと告げると、セルジュさんは飾りのような小さな眼鏡をくい、と持ち上げ、それから拍手をした。
拍手をされた意味がわからないので、僕は目をぱちくりとするしかない。
「素晴らしい。その齢にして自らのエゴをエゴと認識し、それでも開き直りでもなく、求めるものを求める。その純粋で複雑で真っ直ぐでどうしようもなさそうな君の願いが叶うことをワシは祈っておるよ」
「あ、ありがとうございます」
これ、褒められたんだよね? たぶん。
セルジュさんが続ける。
「前館主は人形収集家のことを『人形を集めるお家』なぞと呼んでおった。人形収集家は人形の帰るべき場所だと。それこそやつのエゴの押しつけというもんだ。呪いの人形という存在を形式上、悲しい存在にさせないために、居場所を与えて、それを救いとする。やつにとってはそうだった。
違うかどうかは知らないが、呪いの人形とて心を持つものなのに、そっちのことは考えもしない。まったく、自分勝手な話よ」
「でも、それは前館主様なりに考えた最善だったのでは」
僕が反論すると、セルジュさんは人差し指を立てて、ちっちっちっ、と横に振った。
「そういうのは『最善』ではなく『最良』というのだよ。幸せとそれなりでは随分違うだろう?」
「はあ……」
少し難しい。
ハッピーエンドとベターエンドの違いなのだろう。ハッピーエンドはただただ幸せな終わりだ。それに対してベターエンドというのは、必ずしも幸せとは限らないけれど、納得のいく終わりのことである。ただ、その違いは細やかなニュアンスを全て拾い上げなければ感じることはできない。
例えばススヤが赤いのに「友だちになろう」と手を差し伸べたことが、ススヤにとってはハッピーエンドでも、赤いのにとっては恐ろしくて可笑しかったように。
それでもその在り方を享受してしまうように。
「まあ、呪いの人形は近年精度が増していると聞く。もはや人とそう変わりない彼らが、呪いだからと捨てられたり焼かれたりしていく姿を黙って見過ごすのはさすがに胸が痛むからね。
呪いが呪いなりに生を全うできる場所が必要になるというのは一理あるじゃろう。ワシが人形を集めるのは、本当にただの趣味じゃがな」
ほっほっ、とセルジュさんは楽しげに笑う。
人形にされた人たちが望んで呪われたわけではないように、人形たちだって、望んで呪われたわけじゃない。それを「呪われているから」という理由だけで壊すのは人道的と言えるだろうか。
そういう意味でなら前館主の「人形を集めるお家」という考え方も理解できる。人が居場所を欲するように、人形も居場所を欲しがるかもしれないから。
「そう、ですね……あの子と再会するまでは、この館にお世話になるわけですから、前館主がしていた『人形館館主』としての役割もこなしていくつもりです」
僕と縁のある人形もいるから。
「ふむ、良い孫を持ったな。──ルよ」
何気なく、セルジュさんは天に向かって呟いた。
聞き取りきれなかったけど、僕は驚く。
「それ、前館主の名前ですか?」
「ん、ああ」
何度か聞いたことのあるような、僕の名前に音が近いその名前について聞き返すと、セルジュさんは苦笑した。
「本当の名前は覚えていなかったらしいあいつが、仮の名前として名乗っていたんじゃ。まだ教えられておらんかったか。前館主は名を『アウル』というんじゃ」




