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人形館  作者: 九JACK
第壱章 オーク
20/25

第漆話 おじいさんというひと

 お祖父さんという人


「メビウスさん、今回来るお客様というのはどのような方なのですか?」

「アルル様、メビウスと呼び捨てにするように。それから、敬語はやめてください」

 瞬時にそんな指摘が飛んでくる。客がやってくるまでに、しっかりと上下関係が見えるような立ち居振る舞いにしよう、というのがメビウスさん──メビウスから出された課題だ。だが、こんな調子では、どちらが上でどちらが下か、わかったもんじゃない。

「こんな急拵えの芝居なんて、土台無理ですよ。必ずバレますって」

「敬語」

 メビウスは手厳しい。別に、主従のように振る舞う必要はないと思うのだが、「人形館館主という座についた以上、それらしく振る舞わなければならない」と言われ、返す言葉を見つけられずにいる。

「人形館の館主って、そんな大層な地位なのですか?」

「敬語」

「……地位なのか?」

 僕が折れるとメビウスが説明した。

「人形の売買に携わったことのある者なら一度は耳にしているだろう、というくらい人形館は名が知れています。こんな山奥にあるにも拘らず、人が訪ねてくるくらいには」

 たしかに、人形館は山奥にある。山麓には村があるから人里離れた、とまではいかないが、来るには馬車がいるくらいだ。貴族と呼ばれた人物くらいの財がなければ来ないだろう。見方を変えると、それくらいの人物に目を留められていることになる。

「ということは、今度ここにいらっしゃる方は、それなりの財力を持っているんですか?」

「敬語」

 厳しい。

「今度ここに来るのはどんな方なんだ?」

 問うと、少し悩んでから、メビウスが口を開く。

「前館主様と同じく、人形収集を趣味としているお方です。家にはそこそこの財産があるようなので、貴族の血筋の方でしょう」

 貴族、という単語に思わず緊張してしまう。貴族制度がなくなったとはいえ、貴族の血筋となると、それなりのマナーは身につけているし、他人を見る目が厳しいこともある。……と、本で読んだ。

 貴族と呼ばれることがなくなっても、財力が残っているため、相応の立ち居振る舞いをする。それにはやはり接する側にも相応の振る舞いが求められる。

 僕は一般人として育てられてきた。ゆえに貴族への礼儀作法なんて、これっぽっちもわからない。

 どうしよう、という僕の焦りを感じてか、メビウスがすかさずこう言ってくれた。

「貴族の血筋といっても、あの方はフランクな方ですから、礼儀作法には頓着していません。緊張なさらずとも、大丈夫です」

 少しだけほっとする。とはいえ、母さん──マーガレットさん以外と言葉を交わしたことはほとんどなかった。唯一会話をしたとすれば、医者のヨセフス先生くらいだろうか。

 ヨセフス先生はかなり親身になっていてくれたから、話しやすかったような、と思い出して苦笑する。会話らしい会話はしなかったかもしれない。泣いて、喚いて、宥められて、本を読み聞かせられたくらいだろうか。

 やはり、会話らしい会話はできなかった。メビウスやセドナなどと言葉を交わしたけれど、人と接するのに慣れたというにはまだ心許ない。

「そう気を張ることはありませんよ、()()()。我々がついています」

 メビウスの言葉に、僕はそっと溜息を吐いた。

 僕が敬語と名前の呼び方を直すのを期に、メビウスは僕を「館主様」と呼ぶようになった。これも上下関係をはっきりさせるためだという。

 かつては前の館主のことを館主様と呼んでいたはずだ。そう昔のことでもないはずなのである。そんなに簡単に新しい主を主と仰ぐことを割り切れるものなのだろうか。

 メビウスの顔は、会ったときからそうだが、主を失った動揺や、どこの馬の骨とも知れない人物を新しい主に据えなければならないことへの困惑などが微塵も見られない。

 ……アリシアがいるからだろうか。

 人形館の館主と繋がりを持っておけば、いつかアリシアを元に戻せるかもしれない。そういう意図で行動しているのだろうか。

 などと考えても所詮は憶測に過ぎない。まだ十と少しばかりの人間が他人の心理を把握した気になるなど、傲慢甚だしい。

「その人の名前は?」

「セルジュ様です。齢は前館主と同じ老年です。前館主に孫がいたとは、と大変興味を持たれているご様子でした」

 それは僕が気になるのではなく、前館主に孫がいたという事実を面白がっているだけだろう、と考えるが、被害妄想が過ぎるだろうか。


「ほっほっほっ、セルジュの奴、まだ生きておったか」

 人形部屋でそう笑ったのはオークおじいさんだった。僕が、今度客人が来るということで、セルジュという名前を出したところ、オークおじいさんが大笑いし始めた、というわけである。

「そのセルジュさんとおじいさんも知り合いなんですか?」

「知り合いというか、奴はよく人形館に来るからの。館主と同じ人形収集家じゃから、よく人形自慢をしとった。あの人形を譲れとか譲らんとか、騒がしい奴じゃった」

 人形収集家。たしかにメビウスもそう言っていた。こんな呪いの人形ばかりが蔓延るご時世に人形を集めるだなんて、やはり相当な物好きなのだろうな、とは思う。

「オークおじいさんが会ったことがおるっていうことは、その人は人形職人なんですか?」

「おそらくじゃがな」

 オークおじいさんが不思議そうに声をこぼす。

「セルジュはおかしなやつなんじゃ。隻眼で義手義足。今時そんな格好なのは具者から呪いを受けた一般人しかあり得ん」

「え、でも人形職人なんですよね?」

 僕は思わず確認した。オークおじいさんは頷く。

 呪いが蔓延る前は戦争なんてざらにあり、義手義足の人は多かったし、隻眼の人も珍しくなかったと聞く。だがそれはもう百年以上も前の話だ。呪いを撒き散らす具者が生まれたことにより、人々は戦争どころではなくなった。呪いさえあれば、戦争なんてしなくても、憎い相手、敵対する相手に報復することは容易なのだから。

 ここで引っかかるのが、セルジュさんが人形職人であるということ。人形職人は呪いにかからない希少人種だ。それが隻眼義手義足。オークおじいさんから聞いた様子だと病気はしていなさそうだし、何か事故に遭った、という可能性はまだあるが、貴族の血筋の人が怪我を治せないというのはよほどのことである。医者は藪でなければ、お金を積めば病気も怪我も治してくれる存在だ。僕も怪我を治療してもらったことがあり、今では痕も気にならない。

 となると、医療で治せない傷ということになる。それは僕の目もそうなのだけれど……医療で治せない傷、多額のお金を積んでもどうしようもない傷、となると、第一候補に挙がるのはやはり呪いなのだ。

 呪いは医療では治せない。医療で治せるのだったら、呪詛破壊なんて生まれなかっただろう。ただ、それだとセルジュさんが呪いにかからない人形職人だというのと辻褄が合わなくなってしまう。

 まあ、義手義足は事故でそうなったのかもしれないが、隻眼まで揃っているとなると、呪いを疑いたくもなる。

「呪い、か……」

 僕はもうない右目を押さえた。この瞼の下は空っぽだ。もう痛みもない。母さんに──マーガレットさんに抉られた痕。

「アルルや?」

「はい、なんですか、おじいさん」

「右目、どうかしたのかの?」

 僕は思わず言葉に詰まった。

 どう伝えればいいのだろう。僕の右目がないことを。これを抉ったのはマーガレットさんだということを。……まるで呪いみたいだ。赤い具者の嘲笑う声が聞こえるような気がする。

 僕は苦笑して、事実を伝えた。

「僕も右目がないなっていうのを思い出して」

 オークおじいさんがきょとんとしたように見えた。たぶん、人形でなかったら、目をまんまるにしていただろう。

 人がそんな簡単に目を失くすことなんてない。これは異常なことなのだ。

「前の館主も、右目を隠しておったから、そういう髪型なのかと思っとったわい」

「え、そうなんですか?」

「うむ。昔の写真なんか、お前そっくりだったぞ」

 なんだか複雑な気持ちだ。僕はまだ実の祖父だという前館主のことを受け入れられないでいるのに、ここに住む人形たちが、僕をその人の孫だとすんなり信じられるほどに、僕と祖父は似ているのだ。それが血の繋がりをあからさまに示しているようで、悲しい。

 今目の前にいるオークおじいさんと繋がっていればよかったのに。マーガレットさんが本当のお母さんだったらよかったのに。

 もう叶わないことをいくら願っても無意味なのはわかってはいるが、僕はそれくらいマーガレットさんのことが好きだし、オークおじいさんのことも好きだ。

「……して、セルジュのことじゃが」

 オークおじいさんは優しい。聞かないでいてくれる。僕が話すのも話を逸らすのも上手くないとちゃんとわかってくれているのだ。

「セルジュは優しいやつではないが、人懐こいやつじゃ。頭のネジは飛んでおるが、話せば案外話せるやつじゃから安心するといい」

 優しくはないけど人懐こいって変な響きだな、と思いつつも、参考にすることにした。頭のネジが飛んでいるというのも気がかりでしかないが……


『呪いを守るなんて……』


 僕も、人のことは言えないのだと思う。

 結局、メイを探すために人形館(ここ)に来てしまったのだから。

 オークおじいさんが部屋に置かれた箱に目を向ける。

「そういえば、メビウスが来た頃に、一度ミカを引き取る云々で揉めておったのう。もちろん、ラファも一緒にだったが」

「ミカ……感染型の呪いの人形ですよね」

「そうじゃ。メビウスは一度呪いにかかりかけたところを呪詛破壊されて今の様子になったんじゃが、一般人であることに変わりはない。呪いの人形収集という趣味がそもそもおかしいんじゃが、一般人の子どもを預かるのなら、感染型の呪いがかけられとる人形は置かない方がいい。そういう当たり前の話じゃった」

 たしかに、メビウスがここに来ることは少ないし、箱て呪いが漏れないように対策しているとはいえ、呪いに抵抗する術を持たない一般人と暮らすのに、呪いの人形を置いておくのは良くない。それはセルジュさんの意見が真っ当だ。

 それなら何故、ミカは置かれたままなのか。ラファもここにいるのか。

 オークおじいさんはきいこきいこと車椅子を動かして、あるショーケースの人形に話しかける。

「あのときはたしか、メビウスの小僧の鶴の一声で決まったんじゃなかったか? アリシアや」

「知らないわね」

 澄んだ声が突き放すように端的に答えた。その言葉の孕む棘と声色は割れた硝子を連想させる。

 青灰色の目には感情が一欠片も灯っていなかった。少し、怒りが滲んでいるような気もした。

「そもそも、彼はここにいるべきじゃなかった。恩義を返すだなんて馬鹿馬鹿しい。そんなの、ただの自己満足じゃない。それにその坊やには恩義も何もないわよ。なんで……」

 ぶつぶつぶつぶつと、アリシアは文句を垂れていた。

 メビウスのことは気になるところだが、セルジュという客人に接するにあたって、心配しなければならないことは特にはなさそうだ。人柄はまあ一癖二癖ありそうだが、乗り切るしかないだろう。

 それに、知らなくてはならない。この人形館の館主であった実の祖父のことを。──いつかは向き合わなければならないのだから。


 それから一週間、テーブルマナーや言葉遣い、様々な場面における作法などを学んだ。特段必要もないと言われたこともきっちり頭に叩き込んだ。他にすることがないのだ。

 相手に失礼のないように、というのもそうだが、僕は新しいことを学ぶのが好きだった。本をよく呼んでいたのも学べることがあったからだ。

 そのことを知ったメビウスが、教養本や娯楽本、哲学書など、様々な書物を取り揃えるよう手配してくれた。お金の心配はないらしい。それでも、祖父が何者だったのかは話してくれない。「人形館館主です」としか。

 そうして過ごしていれば、客人と会う日になっていた。僕は少し緊張していた。ついこの間まで文字通り一般人でしかなかった自分が、このように改まって誰かを招くことなんて、想像もできなかった。それが今日、現実になる。

 扉をノックする音がした。それから、メビウスの声が聞こえた。僕は入って、と言った。

 この一週間の指導で、メビウスに敬語を使わないようになるのが一番大変だった。年上の人は敬わないと、と思ってはいるが、人形たちのことを引き合いに出されたら何も言えなくなる。だからなるべく自然に振る舞えるように特に注意した。

 きい、と扉が開くと、そこから入ってきたのは杖をついた背の低いおじいさん。聞いていた通り、義手義足だ。何より目を引いたのは義眼。

 ぎょろぎょろとひとりでに動く赤い目ははっきり言って不気味以外の何者でもない。その義眼が僕の左目とばちりと出会った瞬間は、思わず悲鳴を上げるところだった。

 マーガレットさんの最期に比べれば、大したものではないが、それでも、持ち主の言うことを聞かないらしい目は恐ろしく感じた。義眼ではない方の目は、穏やかな薄紫色をしている。

 ちょこん、と飾りのようにしか感じられない大きさの眼鏡をかけた老人は、僕を見て恭しく礼を執る。

「お初にお目にかかる。ワシはセルジュ。今はもう廃れた貴族の人形職人じゃ。新しい館主どの、お見知り置きを」

 僕もそっと礼を返す。

「ご丁寧にありがとうございます。人形館の新しい館主となりました。アルルと申します。この度はこちらまでご足労いただき、感謝の言葉もございません」

 すると、セルジュさんが可笑しそうに笑い出した。

「ほっほっほっ! いやあ、あやつの若い頃にそっくりじゃ! その姿で礼儀正しくされるとなんだか面白いのう」

「えっ」

 セルジュさんが大笑いするので、僕は戸惑った。前の館主のことはよくわからないので、なんとなくメビウスに助けを求めようとするが、もういない。

「じゃが、奴の孫で間違いなさそうじゃ。ワシの毒眼(ドクノメ)と目を合わせても何もないようじゃからの」

「ドクノメ……?」

 セルジュさんはからりと告げた。

「ワシは呪われとるんじゃ。生まれる前からな」

 とても深そうな話だが、長い話になることだろう。まずは席を勧めた。

 僕が丁寧な所作をするたびに、セルジュさんは笑い転げた。容姿は瓜二つなのに、僕と前館主は所作も雰囲気も違うらしい。それが面白くて仕方ないのだとか。

「前館主……僕の祖父という人はどういう人だったのですか?」

「ふふっ。まずワシ相手に敬語は使わなかったなあ。まあ、年も近かったから、それでよかったんじゃが」

 セルジュさんは僕を見て、薄紫の目を細める。何かを重ねて懐かしむように。

「そそっかしいやつじゃった。ろくに学もなく、才もなく……ただ、人を惹き付ける力だけがあった」

 いや、違うな、とセルジュさんは首を傾げた。

「あやつが惹き付けたのは人だけではない。人形も呪いも……その気になれば、世界の全てだって、魅了することができたかもしれない。そういうやつじゃったよ」

 人形も呪いも魅了する力。聞いたこともない。

 ただ、わかる気がした。メビウスを人形館(ここ)に縛りつけるのは前館主(そのひと)への思いだ。死して尚、その魅了の力がはたらいているのだとしたら、あながち間違いではないのかもしれない。

「まあ、悪いやつじゃあなかった。しかし、こうしてキミを見ていると、あいつはもういないのだな、とひしひし感じるよ。力は受け継いでいるようだがね」

「力、ですか」

「さっきも言ったろう。人も人形も呪いも、全てを受け入れて、全てを魅了する力さ。奴は特異な人形職人だったんだ」

 だからこんな化け物屋敷を建てられたんだろうなあ、とセルジュさんは屋敷を見回す。赤い義眼もぎょろぎょろと部屋中を見渡していた。

 化け物屋敷? 人形館が?

 たしかに、呪いの人形ばかりだが、悪いことをする人形はいない。

「そりゃ、お前さんの魅了の力が効いているからさ。奴もそれを狙ったんだろうな。あるいは未練か」

「祖父の……未練ですか?」

「詳しくは聞いとらんが、前館主は呪われたものたちと友でいるためにこの屋敷を建てたと聞いた。正気の沙汰じゃあないが、まあ、ワシもワシで気にいっておるからの。あいつも友を残していくのは嫌じゃったんじゃろう」

 友。僕にとってのメイのような存在が、祖父という人にとってはこの屋敷の全てだったのだろうか。それなら、友を残して逝くしかなかった前館主はきっと、死にたくなかっただろう。

 魅了の力云々はともかく、そうして生涯愛されたなら、メビウスやセドナのように慕う者が現れるのも当然なのかもしれない。アリシアのような例外はいるけれど。

「セルジュさん、貴方の知っている前館主の話を教えてください」

「セルジュでかまわんよ、アルル坊や。さて、何から話そうかのう」

 その人が本当に僕の祖父なのか、疑ってはいる。

 けれど、託されたものを無碍にばかりはできない。友だちを大切にしたい気持ちは、きっと僕も同じだから。

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