儚い記憶
昔、女がいた。彼女は青空の元、家業の手伝いをしつつとある人へと思いをはせる。
「今日も、彼は家へ来るのでしょうか?」
彼女は、彼のあの屈託のない笑顔を思い出す。この頃よく、山で採れたという野菜を頻繁に家へ届けてくれるようになった、あの幼なじみを。
「……約束、覚えているのでしょうか」
彼は、昔、彼女にこういった。
――――大きくなっても、一緒にいようね!
今と変わらないような屈託のない笑顔で、泣いていた彼女にそう言った。
「私は、覚えていますよ」
ふ、と微笑みながら慣れた手つきで炊事をする。
しかし、彼女はもうどこかに嫁いでもおかしくない年齢である。彼がこの約束を持ち出す前にどこかへ嫁がされるのではないか、と恐々としていた。
「おい、居るか!?」
物思いにふけった彼女の元に、彼の声が届く。彼女がはっと顔を上げると、そこには彼がいた。
「え、えぇ、おりますとも」
彼女は若干驚いたように応じる。彼はにっ、と笑うと
「散歩にでも行こう!」
と、彼女に手を差し出した。
§
「いきなりどうしたのですか? 散歩だなんて」
田んぼの畔道、彼女は彼の横顔を見つつ言う。彼の横顔には、形容しがたいような悲しみが満ちていた。
「……あのな、俺、禍ノ病なんだ……」
会話に、奇妙な間隔が、空く。
「――――――ぇ!?」
彼女は彼の突然の独白が理解できなかった。
禍ノ病とは、全身に黒炭のような痣が出来、やがて脳を侵食してゆく病である。この病は、未だなぜ起きるのかが分かっておらず、この時代の人々を怯えさせていた。よりにもよって、何故彼がそんな病にかかってしまうのか、何故、彼を失わなくてはならないのか。あの約束はどうしたのだろう、と。涙目で糾弾する彼女を、彼は優しくなでる。
「大丈夫だよ。俺、ちゃんと約束を覚えている。だから―――」
彼は、微笑んだ。淡い日差しと木漏れ日の中で、その笑顔は何にも代えがたいほどの美しさを放っていた。
§
数か月後、彼女は物言わぬ石の前に立った。目の前には菊や百合などの花が置かれている。それは優しさを示すような美しい花ばかりだった。
「やはり、貴方と言う人は……これでは、忘れられませんね」
彼女は微笑んだ。佇む彼女の首には、彼から贈られた美しい首飾りが輝いていた。