旅立ち
その男は言った。
「世界のすべては我々の掌の中で、整えられたものなのだよ。」
白一色で眩しいほどに統一された室内で、対峙する黒衣に銀髪の男に。
銀の髪に陶器のような白い肌、光の加減で何色にも染まって見える瞳の色が印象的な、その男の顔は強ばっている。
銀髪の男は答えて言った。
「ならば、この与えられた時を如何様につかっても、あなたは全て治めることができるのですね。」
その男は、非常に稀なことであったがうっすらと笑みを浮かべて、
「その通りだ。」
と言った。
ほどなくして、銀髪の男は、白亜の街を去った。
風は穏やかに西から東へと流れている。まだ夜も明けやらぬ暗緑色の海面を重たげに揺らしながら。
ここは、最寄りの港町からは少し離れた海岸である。立ち寄る船はただ一艘。名は定期貨物船の「ニケ」。貨物船ではあるが船賃を出せば一般客も乗せる。収容人数はさほど多くはないが、煩雑な手続きもなく乗れるので、庶民や旅芸人、または急ぎの旅客には人気であった。
港町には寄らない。正規の客船との取り決めでもあったが、船長としても入港料が高いので避けていた。もっともそれは表面上の理由で、ここ数年のアシュアス大陸の治安の悪化が理由の大半であった。三年前に新王が立ってからというもの、治安は目に見えて悪化の一途を辿っている。とはいえ、この時代、人も物流も大陸内は馬が主流、大陸間は船が唯一のルートであり、外界を見、見聞を広めるのは一般的なことではなかった。大衆は他者の治安と比べる術を持たない為に、そんなものだと受け止めている。
そんな人々をしても、このニケの知名度はかなりのものだった。世界の海を統べる、海商の王との二つ名までも冠されるようなった。船長は人嫌いと言われており、容貌魁偉な大男とか、影をまとった陰気な子男だとか容姿については噂は様々だった。
そして、この港はニケの為に作られたものであり。
倉庫や荷物番の常駐員もいる、といった、必要なものはそろった状態で維持されている。
近くの村から消耗品などは調達を済ませ、停泊も半日ないしは1日のみ。
間に合うものだけ、客として乗せる、という仕組みだ。
「なんで、こんな船に乗ることになったのかしら・・・。」
港というには簡素な、もやいが一つ、高大な倉庫が一つきりの、淋しい景色に不似合いな、華やかな美女はため息をついた。
「彼って・・・、なんて仕事運ないのかしら。」
七色のリボンを潮風になびかせながら、紗羅は船へて近づいて行った。
いつものことだったが、船内はちょっとした騒ぎになる。
この時代、呪術師は珍しくはなかったが、各大陸に5人しかいない最高位称号時読の呪術師、虹の紗羅の乗船である。
人が聞いたら訝しむようなことであったが、本人曰く「船のガードのメンテナンスが必要」なのだそうだ。しかも「なるべく頻繁に」だそうである。
この世界の常識として、人の集まる施設にはほとんど「ガード」がある。
一師相伝が呪術師の決まりであり、呪術師はすべて「結社」に属するよう定められているが、中には闇にもぐって暗殺などの請負をしている呪術師くずれもいて、その対策が講じられているのだ。「ガード」は大抵が何らかの呪いのこもった品であり、それを設置することできる高位の呪術者は時読み、だった。
それより下位の呪術者はその品の簡単な維持が出来るくらいで、その役割は常駐するものがチームで請け負うのが常である。
この船に派遣されているのは颯という、1年前まで紗羅の部下だったものだ。
世間の評価はすこぶる高い颯なのだが、なぜか出世からは外されている。この船への派遣もそうだ。本来ならもっと無名の、現場チームが交代で請け負ういわば「遠慮したい役」だ。だが颯ひとりが派遣されている。紗羅にとっては本当にわからない人事だ。
だから年に何回も、彼女はこの船を見に来るのだった。なにか腑に落ちないし、颯には中央の仕事に戻ってきて欲しい。一緒に仕事のできる人間も、育ってはきているが、・・・正直肩を並べるには心もとない。船長に会ったら、交渉して、颯を移動させて、と考えているがなかなか面会できない。大体が補佐官―副船長止まりで1年が過ぎた。
紗羅が船へと近づきながらこんなことを考えていると、颯の黒衣が甲板に見止められて、彼女はペンダントを無意識に握りしめた。颯と同じ、緑色の石のはまったシンプルなペンダントを。
一方その頃。船の停泊している姿をひょいと木にでも登れば見つけられそうな近くの林の中で、ひたすら走り回っている少年がいた。
「なんで!着かないんだよー。」
と言っては立ち止まり、見渡してはまた走ってる。
褐色に日に焼けた小麦色の肌をしている。瞳の色はこの地方にはもっとも多い黒だ。
黙って佇んでいれば美形の部類には入る顔立ちだが、言動の幼さからその点は目立たない。
「!地図があったはず!」
慌てて背中のバックに手を伸ばすが、空しく宙をつかんでしまう。
「な!なんで!ここに入れたのに」
すると頭上からクスクスと笑い声が降ってきた。
「なんてまあ。隙だらけですね?」
と言われてやっと、そんな近い場所にあった人の気配に気づいた。
「これで、私があなたの刺客だったら、即死ですね、」
と茶化すように言って少年の前に降り立つ。
柔らかな新緑の葉がちぎれて、数枚空に舞った。
「あれ?私と同じくらいかと思ってました・・・。意外と大きいですね」
その人物は、しばらく思考停止に陥ってしまうくらい鮮やかな、カワセミ色の外套を着ていた。軽く仰向けになって仰ぎ見ても、落ちないくらい目深にかぶったフードからわずかに口元が見える。唇が艶やかで赤みがさしていて、顎はとても華奢で、消え入りそうに白い。思わず見つめてしまったバツの悪さから、声が少しとげを含む。
「何か用?っていうかこんな朝早くにこんなところで一人って・・迷子?」
「迷子?それはあなたでしょ?港、すぐそこですよ?街道から外れたところで大きな声がしたから、ちょっと来てみたらまあ。」
そういいながら手元の地図を覗いている。
「その地図!」
「ああ、あなたのです。こんなにいい地図持っていながら、よく迷いましたね。」
「人の物を勝手に拝借するような人間には言われたくない」
「はい、お返しします。お詫びに、港までご一緒しますよ?」
どうせついでですし、とその人物は言う。
「申し遅れました、私はサラナー・ラクラスと申します。」
「俺は・・・ライ。」
自己紹介ならフードも取れ、とは内心思ったが、こちらも姓は名乗れないのを突っ込まれると厄介なので飲み込んだ。
「じゃ、行きましょうか。かなりぎりぎりですよ?」
そういって、サラナーは背を向けて走り出した。
「サラナーの、目的地は?」
「目的地ですか?ワイノスの、砂漠が見たくなりましたので。」
「砂漠観光?物好きだね!俺はもうこりごりだね砂漠なんて。」
駆けながらの会話である、2人とも息が弾む。
「行ったこと、あるんですか?一面砂って本当ですか?」
「まあね。砂しかないよ。ルートはずれるとすぐ死ぬよ」
「いったことあるんですか?本当に?」
「なんだその疑いの目は!」
そんなことを話しながら、走る。
ライは南から、砂漠を2つ超えてきたこと。あるものを探していて、各地をまわる予定なこと。
サラナーは北から、街道を辿ってここ大陸一の貿易都市にきたこと。砂漠へは行かなくてはならないが旅は今回初めてとのこと。旅銀があまりないこと。
林を駆けるうちに日が昇ったようで、あたりは徐々に明るくなっていく。明滅するような木漏れ日の中を駆けていると、ふとカワセミ色の外套がひときわ大きく風にはためいた。上質な素材で出来ているのか、胸騒ぎを覚えるくらいの光沢が軌跡を描く。新緑を透かすひときわ強い、白い朝の光。鮮やかな青。林を抜けていた。思わず瞬きをした次の瞬間。もうサラナーの姿はなかった。思ったより港に近い今の立ち位置から、船影が聳えている。そして乗船口には七色に装った、紗羅。
「!」
こんなところに、本当にあらわれるなんて正直思っていなかったのだ。
有名な呪術師が。
幸い、近付くに従い彼女は反対方向を向いていることが分かった。しかも熱心に話し込んでいる。好機とばかりに船内に滑り込んだ。
「…っと。」
書類を抱えて目を通している大柄な男にぶつかりそうになり、慌てて謝って通り抜けようとしたところ。
「待て。君は乗客か?」
と書類束で目の前を遮られた。
「は、はい。」
見上げるほどに体格の良い男だ。着古したズボンは元が何色だったのか解らないくらい、さまざまな色に染まっては退色したようで、部分によって赤、緑、青とさまざまな色目を載せている。そんなになるまで破けないなんてどんな生地だ?と思わずしげしげと眺めていると。
「悪いが、荷物が多くて客室はあまり設けられなくてな。港で他をあったってくれ。」
「へ?…ええ!」
間の抜けた大声を思わず出してしまった。
「そういうことだ。」
「え、ちょ、ちょっと!」
はっとして振り返ると、声を聴きつけたのかこちらを振り返って見ている黒衣の男と目が合った。黒髪に黒衣、ニケにいるといえば間違いない「癒し手の颯」だ。ならばこちらからは死角になっているが向かい側が紗羅。
颯は信用できるよ。とあの人は言ったけど。でも紗羅のことは何にも聞いていない。ここはあまり目立たないようにしなければ。
「あの。どうしてもこちらに乗せて貰いたいんです。雑用でも何でもします。」
声のトーンを落として、颯を伺うともうこちらへの視線は消えていた。紗羅との話に戻ったらしい。
「聞いた。副船長!おれ、こいつもらうわ。」
言い終わるや否や、横合いからするっと腕が伸びてきて、首に絡みついた。
「積荷の作業が一段落したら調理場に寄越してよ。あ、キミ料理できる?」
腕の主は副船長と同じくらいの身長で、華奢ですらりとしていた。淡い褐色の髪を後ろで束ね、コックコートを着ている。肌は日焼けしておらず薄い黄色味を帯びている。瞳は空色だ。
「料理は基本は出来ます。」
「よし。いいだろセルゲイ。毎度人手が足りないんだよ。真面目に働くなら目的地まで乗せようや。」
セルゲイとは副船長の名のようだ。
「ハザト。…お前その勿体無がる癖どうにかしろよ。」
「だって折角の労働力を、無碍にするのもどうかと思うぜ。大体調理場はできるやつが少ないんだよ。」
ハザト、と呼ばれた男はそういうと屈託なく手をライへと差し出した。
「そういうわけだから。ま、俺は無駄飯食いが一番嫌いで、さぼるやつは鮫のエサにするから!よろしく。」
ヒク、とライの頬がひきつったがそれには気づかなかったらしく、調理場は誰に聞いても知ってる、食堂の横だから!と言い残すとさっと立ち去ってしまった。
「…サメ?」
固まってしまったライに、副船長・セルゲイが声をかける。
「ま、気にするな。せいぜい無人島にけり落とすくらいしかしたことはない。」
「え。」
とますます青ざめるライに目をやって。
「冗談だよ。あ、そういえばお前、名は?」
声に低さや立ち振る舞い、日に焼けて赤褐色になった肌、奥まった黒色の瞳に彫りの深い顔立ちから、親父くらいの年かと思っていたライはおや、と思った。笑うと若い。
「おれは、ライ、って言います。歳は一七、ハウェイナ出身。」
「ハウェイナはいいところだな。俺は、セルゲイ・アーカム。副船長、二十八だ。」
そういいながらも足は動かしたままだ。
「さっそく、積荷の整理をしなけりゃならん。」
ライも慌てて付いて行く。
頭には色あせたバンダナ、パンツと同じく日に焼けた退色したシャツはぼろぼろだ。袖なしかと思ったがよく見ると袖口に千切ったような跡がある。
装飾の類は一切なし。それがかえって見事な体格を際立たせている。腰に剣を佩いているが実用的な形をしている。というか。見覚えがあるような形だ。
(親父の…に、似てるな?)
しかしそれはうかつには言えないことだった。父の名は特に。
そう思ったすぐに、事件は起きた。
船内倉庫に向かっていたはずが、すっとライのまわりが陰った。
「見つけた。」
地を這うような声がした。耳元で。
「なんてことかしら。これがあの高名な颯の守護する船なんて。こんなにあっさり侵入できるなんてね。」
ライはとっさに腰の短剣に手を伸ばそうとした。だがぴくりとも体が動かない。
「さあ、いらっしゃいな、讐至刹王の御許に。」
ライは不意打ちに困惑しつつも、必死にセルゲイに声をかける。
「副船長!悪い、術師をここに連れてきて!迷惑かけてごめん!」
そばにセルゲイの気配は感じる。だが五感は徐々に遠のいていく。じわじわと、手足の重みが増し、床に飲み込まれるようなぐにゃりとした感覚が増す。
「迷惑?あははそうだねえ。あんたを乗せたのが、運が無かったねえ。この船もタダじゃあすまないよ。」
重みにつぶされそうな頭をもたげる。
「…な…んで?」
ぎりっと唇を噛み、痛みでなんとか意識をつないだライは、
「われ、求める、出でよ剣の守り人!」
と必死に声をしぼりだした。
「…無関係だろうこの船は!いつもそうだお前らはっ!」
と言うやいなや、剣から白銀に輝く光があふれ出、辺りを満たした。
(用件は?)
そう、かすかな、しかしはっきりと頭に直接響く声がした。
「この気色悪いのを、思いっきり吹き飛ばして!」
(了解した。)
そう聞こえた。と思いきや、あっという間に場に光がもどった。
「大丈夫か?」
セルゲイが柄に手をかけてこっちを見ていた。
颯はいつの間にかすぐ横に来ており、
「この御仁が、なにやら術をつかったようじゃが…?」
と顔を覗き込んでくる。
「少し、口を切っておるな。船医室に連れてゆこう。」
そう言うと、大きな黒いマントで姿を隠すようにして、
「紗羅どの。ガードの確認はお任せいたす。」
と顔だけ振り返ってその場を去った。
船医室にて。
「ではそこもとがライ・ゼンドーか?」
といきなり尋ねられた。
「ハウェイナで耶守理宇に助けられた?」
「はい…で…あります?」
ライはよくわからない語調で語りかけられたので、とりあえず合わせようとしたのだが。
「かたくならずとも好い。普段の言葉で構わぬよ。某のことも颯、でかまわぬ。」
と軽く笑われてしまった。
近くで見ると颯はとても整った顔立ちで、まだ若くて、なんというか昔幼馴染の少女の持っていた流行の役者の絵姿のようだった。しゃべり方はとても変わっているけど。
「話はだいたい聞いておるよ。しかし先ほどは妙じゃった。ライ…と呼んで構わぬかの?」
「はい。」
頷くのを確認した颯は先を続ける。
「ライは呪術者ではないのじゃろう?」
「もちろん。」
「ではああ易々と侵入を許すはずがないのじゃが。」
そういって簡単に説明してくれたのは、おおよそこういうことだった。
船のガードは、「呪力均衡型」といい、一定以上の呪術者が所定の手続きを踏まずに入り込むと一端ガードが無効化してしまうそうだ。
過去は「呪力はすべて弾き返す」形のガードが主流だったが、そうするとちょっと力のある護符なども隔離せねばならなくなり、現場では手続きが煩雑になり過ぎて不評だったためだ。また、ちょっとしたまじない程度でも過剰に反応したり反響しあったりと、いろいろあって改良したのだそうだ。
「今回は、ガードが外れるほどの呪術者は乗ってはおらぬ。で、ライの追手は遠隔操術を使っていたが、紗羅どのの術を破るほどの呪術師で、このような不法を行うものはおらぬ。」
「あ、ガードはもう大丈夫かな?」
「紗羅どのが直しておるよ。残留したものも無いようじゃったし、大した手間にはならぬはずじゃ。」
「良かった!おれ、とりあえず調理場行ってくるよ。雇ってもらえたのに早速迷惑かけたし。」
それを聞いて。颯は真面目な顔をして。
「一つだけ確認しても良いかの?」
とまっすぐ瞳を覗き込んで言った。
「ライは、剣に誓って、不正、不実は働いてはおらぬな?」
これをライはまっすぐな瞳で見返して、
「…剣と父母と、自身の先霊にかけて誓えます。間違ったことはしていません。」
そう答えると、一礼をして出て行った。