この身は将軍なるも我は駒となる事能わず
自らの進むべき道も己が腹も据えたフランクは今一度目の前の報告書に目を通すことにした。彼は情報を整理し、策を練らねばならない。
フランク・オットーの本質は善人と呼ぶには無理があった。彼は大将軍にして彼の父であるヴァイス・オットー公爵の前では殊勝な息子を演じ、兵士達前では勇猛果敢な将軍を演じてはいる。そう、飽く迄も彼は演じているだけだった。
フランクの本質は臆病であり、臆病であるが故に彼は策を練る。臆病であることは彼の想像を掻き立ててくれた。
想像をすることで他人が能動的に動く為には何が必要なのかをフランクは知る。それを踏まえて他者の能動的行動が彼の利益となるように修正を行っていけばよい。
この場でフランクが見つめているのは目の前の羊皮紙ではなく、この国の未来であった。
(草からの報告を読む限り、ヨルセンの住民達が謀叛を起こしたと司農の一人が騒いでいるに過ぎない。村じゅうの物資だけには飽き足らず、【魔王の美酒】が蓄えた物資さえも徴用しようとするとは……大方、これを私腹を肥やす絶好の機会と読んだのであろう。司農の名を何と言ったか……まあ、良かろう。直ぐに処分する者の名を心に刻んだとしても詮無きことだ)
フランクは自問自答を繰り返しながら羊皮紙に記された文字から導くべき答えを探し出す。目を細め、左手の中指で自らの米神を抑えながら思考の海に自らの意識を潜らせていく。
彼は呼吸を整え、視界に映る部屋の景色を酷く味気の無い物へと変化させる。窓から差し込む陽光も、埃一つ無い机に薄っすらと映る自らの顔も、何もかもがフランクにとってはどうでもよくなった。
綿を一本の糸へと紡ぐように、細く、より細く、フランクは意識を洗練させていく。
(しかし、理由はどうであれ、司農を傷付けたのは頂けぬ。王の勅命を受けた者を傷つけた事実がある以上、謀叛と看做されたとしても致し方あるまい。では、今回の件を揉み消すことで【魔王の美酒】に恩を売ることが叶うか……否、恐らくは無理であろう。では、どうする?)
フランクは思考を続ける。司農とはその名の通り農を司る役人であり、王国の直轄領の臨時の徴税を担う役人の名称である。
その性質上、常任の役職ではなく、国王の側近が任命される場合が多い。
司農は戦費などの定められた年貢以外の金銭及び物資の調達を可能とする権限を持つ。そこに発生する役得も多い為、羨望する者は後を絶たない。
──公爵や伯爵の地位など欲しい奴にくれてやる。我は司農にさえなれれば良い。陛下より司農に任命されたならば、孫子の代迄は遊興の人生を送ることが叶うだろう──
とは初めに誰が言い出したのか定かでは無い。それにしても、役人が私腹を肥やすにこれ以上は無い役職に違いは無く、言い得て妙であった。
数年前に今は滅亡したモール王国とライオネル王国との戦において、数名の司農が任命されたが、その時の苛斂誅求を極める税の取り立ては今でも親から子へと語り継がれている。
(否が応でも【魔王の美酒】をこの戦に巻き込まねばなるまい。問題はその方法を如何にするかだ。あの少年の言葉を信じるならば、【魔王の美酒】を動かせるものは彼の妻であるエリーナと申す娘であろう。前回の報告では身重とあったか……)
あの【怠惰シンクレア】は【魔王の美酒】である隆之の妻を人質としていたことにフランクはふと気付く。
シンクレアも【傲慢クラリス】も魔王とは覚醒せず、隆之本人は契りの魔法を受けてすらいないことは以前の調べで明らかとされていた。
そのことからフランクが推察するに、エリーナは隆之の致命的な弱点であり、隆之に対しての越えてはならない一線なのであろう。
(ならば、エリーナと申す娘を攫えばどうなる? 魔人の手による物と偽装出来れば、【魔王の美酒】は自分から戦場と赴くであろうな。上手く行けば、【魔王の美酒】があの二人の化物と殺し合いをしてくれる最上の動機とはなるが……我ながら様も斯様な愚策を考え付く物だな……)
フランクはこの策に有用性を認めるも、実現性に乏しいと判断を下した。
以前に成功した策ではあるが、以前に上手く行ったからと言って、同じ策を続ける者は必ず負ける。
(我を含めてこの国には手持ちの駒が少な過ぎる。されど、手にすることが能えば、全てを覆すことも夢想とは言い切れぬ駒が二つか……)
自らの思い描いた通りに物事が進むとフランクは考えない。
このライオネル王国を取り巻く環境を良いとは世辞でも彼は言いかねた。
──この国が存続する為にはこの国の全ての人々が一丸となり、魔人の脅威を取り除かねばならない──
何とも下らぬ精神論だとフランクは思った。
力無き人間が数百万集まろうとも、【怠惰シンクレア】と【傲慢クラリス】には通じない。これは彼にも断言出来た。
世の中には行わずして結果の分かる事象も存在する。
美しき二人の魔人は数百万の骸から漂う腐臭に顔を顰めるであろう。そして、自らの王を迎える為に屍を焼き払う。
(俺を含め、他の人間などどうでも良い。【魔王の美酒】とあの御方が動いてさえくれれば、あの二人の化物に対抗出来る……いや、そうではない。これだけが唯一の我々に残された勝機なのであろうな……)
フランクの実力ではライオネル王国の存亡を賭けたこの戦いで駒としても不十分と言えた。
彼の考えるこの戦いの鍵を握る存在は二人だ。
一人は魔王とも呼べる力を解き放った【魔王の美酒】である隆之であり、今一人は何故に傭兵と身分を偽っているのかは定かでは無いが、魔人殺しにおいて右に出る者は居ないとされる【同族殺し】の二つ名を持つ者であった。
(何故、彼女がレギオン帝国を離れ、この国で傭兵となって居られるのかは未だに分からぬ。本人は隠すつもりも無いみたいだが、誰一人として信じてはおるまい。さて、二度と彼女を格下としては扱えぬか……詮無いことだな)
フランクは立ち上がり、窓を開け放つ。
空の蒼さを遮る雲は灰色に染められ、西から東へと風に運ばれていく。その姿は魔人に土地を奪われた後に追い詰められて行く人間のようであった。
(彼奴らは人間達を解き放ち、その地域が発展した後に取り上げる。我々は魔人達の為にその土地を拓き、耕し、国を興す訳では無いのだ。我々が愛し、育んで来た土地もその地で殖えた我々の命も数百年で全てが奪われて行く。人間は魔人の気紛れを晴らす玩具では無い。放流した稚魚の如く我々を扱うならば、我々にも意地があることをその身に叩き込んでくれる!)
自らの命が魔人の気紛れで生かされ、殖やされ、刈り取られる物などとはフランクは断じて認めない。
人は考え、その地に足を着けて強く生きる。
子を育み、次代へと繋ぎ、発展を遂げようと懸命になる様が魔人達の琴線に触れ、人間達が生かされ、土地を与えられた理由であることは痛烈な皮肉だったのかもしれない。
狩る者と狩られる物だった魔人と人間の関係に異物が入り込み、この世界を混沌へと導いて行く。
隆之の一挙手一投足が世界に多大なる影響を与え、彼は平穏を望むも世界が彼を中心に回り出す。




