傲慢クラリスの決意
【スフィーリア】に住む全ての人間達は新宮殿【メリウサラム】建設の為に集められ、そこで昼夜を問わずに労働に勤しんでいた。
【怠惰シンクレア】に強制的に参加する様に命じられた人間達ではあったが、その実は参加する者の殆どが嬉々として働いている。
【スフィーリア】とは上級魔人である【怠惰シンクレア】の治める土地全体の呼称であり、シンクレアと【傲慢クラリス】の住まう都市の名でもある。
都市【スフィーリア】に住まう人間の数は凡そ四十万人であった。
「うわっ、初めて見たけど、これって壮観ね」
小高い丘の上に設けられた陣幕から見下ろすクラリスは数十万を超える砂粒程の大きさの人間達の流れと言う物に驚きを隠せない。
石材、木材は運河を利用して運ばれ、その長蛇の列が新宮殿へと続いている。宮殿の周囲には既に街が出来、石造りの家々が計算された配置で立ち並んでいた。
山を背景にした新宮殿を中心に左右対称に扇状に広がって行く建築物の数々を人間と言う存在の家畜が生み出していることがクラリスには信じられない。
クラリスが思うに集められた人間達は作業を分担し合っているらしい。
岩場から石を切り出す者、加工する者、彫刻を施す者。集められた木材を加工する者、組み立てていく者。食事を用意する等の建築に携わる者達を支える者達――
多岐に渡る労働の一つ一つに意味があり、実に効率良く物事が進んで行く様子が見て取れる。
「ねえ……シンクレア……アイツ等って、自分達のしている行動の意味することを理解しているの?」
人間達が一丸となる様を見せ付けられたクラリスは自らが疑問に思ったことを口にする。
「あの者達は自分自身の労働が全体にどのような影響を及ぼしているかまでは理解してはおりませんわ。我がスフィーリアの住民達にはそれぞれに指導者となる立場の者達を置いておりましたから、このような時に役に立ったのでしょう」
椅子に腰掛けたシンクレアはイザベラの煎れた紅茶が入った磁器をテーブルに置き、クラリスの疑問への答えを示した。愛娘に優しく教え諭す姿は慈愛に満ち、暖かな雰囲気を醸し出している。
「指導者?」
クラリスは眉を顰めてシンクレアを問い質した。クラリスにとっては人間とは家畜であり、家畜の指導者とは群れを先導する者なのであろうかと小首を傾げながら考えた。
「五戸を治める者を伍夫とし、伍夫を束ねる者を百夫としております。百夫を治める者を千夫とし、千夫を治める者を万夫としておりますわ。それらの上位者に私の配下の者達を据え、カーネルを頂点とした上意下達の制度を整えたに過ぎません。円滑に物事を運ばせる為に更に一工夫もしておりますわね」
シンクレアの結い上げた金髪が風に靡く。シンクレアはそっと髪の乱れを押さえ、耳に掛かる髪を直した。その仕草は多くの男達に色を覚えさせるものであったろう。
「何なのよ……その一工夫って……」
思わず嫉妬をしてしまいそうな程のシンクレアの美しさにクラリスの唇が弧を描いた。
(母様の美しさは確実に男を狂わせる。その仕草一つ一つが洗練されいて、全ての男は母様のことだけしか考えられなくなるわ。アイツも例外じゃない……母様に惹かれない雄などこの世にありはしないわよ)
「簡単なことですわ、姫様。私はこれまで人間達から奪うことだけに努めて参りました。生産される食料は必要とされる量が残らぬように奪い、子供が生まれた場合は必ず三人の内の一人は魔獣の餌として来たのです。このスフィーリアで成り上がる唯一の方法は自らの命を賭け、私の魔力を受け入れて魔人となる以外なかったのは姫様も御存知でしょう?」
悪戯をして困らせて楽しむ天使の様な笑みを浮かべながら、シンクレアが言葉を紡ぐ。
「人間から奪うのはどの魔人もやっていることじゃない。それに何か意味があったの?」
「少しだけ足りないと言う事が肝心要なのでございます。私が取り上げた物資や財は決して、彼らの元には戻ることは無かったのです。明星のスルド様より賜った宝物の内に全てが納められ、二百数十年の長きに渡って溜め込まれていたのでございます。私はその全てを今、使いきろうとしているに過ぎません」
三千万近い人間達が生産した物資の約半数が二百年以上に渡って溜め込まれた物。それがシンクレアの持つ財であり、力である。
食料、衣料、金銀財宝……人間達が価値を見出す物の大半がシンクレアの懐に流れ込む体制が確立された場所こそがシンクレアの治める【スフィーリア】だった。
「普通に考えて、使い切れる訳がないよね? 何となくだけど、私にも分かってきたわ。シンクレアはアイツが君臨した時代を人間達の黄金時代とするつもりでしょ? 如何にもアイツが喜びそうなことね。全ての人間が飢える事も無く、寒さに凍える事も無く、労働に対しては十分な対価が支払われ、王の支配下で安穏とした生活を送ることが出来る訳か……」
「ええ……タカユキが望んだ物はヨルセンの村の人間達が飢えることが無いようにすることでしたから。このスフィーリアの人間達に私は約束したのです。そなたらが忌み嫌った【魔王の美酒】が魔王として君臨するならば、今後そなたらが飢えることも凍えることも無い。年間数十人の生贄を差し出すだけで、それ以外の者達には楽園を与えると。本当に愚かな事に万夫全員がこの約束に飛びつきましたわ。自分達に関る者達が生贄にされる事は微塵も疑っていないみたいですわね」
コロコロと鈴を転がす音色を上げながら、シンクレアは目尻を拭う。
万夫に対して生贄として指定される可能性を排除するとシンクレアが確約した訳ではない。それにも関らず、自分の都合の良いように考える人間と言う物の滑稽さが彼女には可笑しくて堪らない。
「随分と身勝手な話ね。アイツって、こいつ等に嫌われてたじゃない。それでも、アイツはこの人間達の為に君臨することを選んだりしちゃう訳? 夢に過ぎないんじゃないの? 自分の都合の悪いことを直ぐに忘れるなんて……やっぱり、人間って取るに足りない家畜じゃない……」
クラリスが横を向き、蟻の如く懸命に働き続けるスフィーリアの人間達に侮蔑の視線を向けた。
「姫様の仰る通りなのでしょう。タカユキはスフィーリアに住まう人間達から嫌われていたのは事実です。もしも、あの者達がタカユキにほんの少しでも優しさを与えていたならば、タカユキはあの者達を救うことに全力を尽くしたかもしれませんわね。ですが、あの者達は奴隷を買い漁っていたタカユキならば、自分たちも救ってくれる筈だと信じているのでございます。自分達の行いを棚に上げて救いを求めているのですわ」
シンクレアは扇子を取り出し、自らの口元を隠す。人間達の愚かさを嘲笑う事を堪えるのは彼女に多大な労力を強いる物だった。
「じゃあ、あんまり期待出来ないね。アイツって、自分の出来ることと出来ないことの線引きって、かなり厳格にしてたんじゃない? こいつ等を救う義理が無いならば、無視する可能性も高いじゃない。シンクレアが前に言った、目の前で子供を殺そうとしないと助けないって、こう言うことな訳ね」
「然様でございます、姫様。タカユキには彼らを救う理由がありませんわ。その立場に無い者に救いを求めるのは筋違いと言う物でしょう。それが理解出来ないと言うのですから、救いようがありませんわね」
「まあ、そんなもんか……で、新宮殿近くに積み上げられた金塊にも意味があるんでしょう?」
クラリスの視線の先に堆く積み上げられた金塊が映る。太陽の光を反射し、眩いばかりに照り輝く様はシンクレアの力の一角を示す物なのであろう。
「勿論でございます。隣の【ライオネル王国】から米や麦、塩等の物資をこのスフィーリアに持ってくる愚か者共を呼び寄せる餌にございますわ。穀物等の物資は相場よりも高めに買い求めておりますので、ライオネルの商人達が相争って売りに来ております」
シンクレアに穀物は必要無い。それどころか、彼女が手持ちの穀物の全てを流通させれば、忽ちに値崩れを引き起こしてしまう。ライオネル王国が兵站の維持に支障を来たすように小細工を施したと言ったところか。
「相手の余剰生産物をこちらが手にしたら、向こうに勝ち目はないじゃない。それとも、元々勝つ気が無いの間違いかしら?」
「いえ……ライオネル王国にも物資を買い漁っている者が一人だけおりますわ。人口百人程の村の住人達が優に二百年は食べていけるだけの食料を確保したみたいですわね。途轍も無い【魔力障壁】で覆われた物資は腐ること無く、あの村に二百年の安寧を齎すことになるでしょう」
その一人の名前を敢えて口にすること無く、シンクレアは思考を巡らす。初めて隆之と出合った時と比べて成長を遂げていることにシンクレアの中に歓喜とも呼べる物が込み上げて来ていた。
「へえ……意外と馬鹿じゃないじゃない。アイツには私達と争うつもりは無いみたいね。まあ、当然か。でも、兎が巣穴に篭る準備をしていたら、少し困るね……」
「御心配には及びませんわ。あの者の戦う理由は唯一つ。エリーナと申す小娘です。エリーナが望めば、あの者は命を賭けて私達に挑んで来るでしょう。されど、私達がエリーナの存在を認め、それなりの待遇を用意すると申し出たならば、妥協する可能性は高いと私は見ております。正直に申しますと、エリーナに正妃としての地位を約束し、【メリウサラム】で怠惰にして淫楽な日常を過ごすことがあの者の矜持に適うのか、それとも、反するかどうかは自信はありませんけど……」
「私は条件としては悪く無いと思う。スフィーリアで人間同士が殺し合う数って、年間で数万でしょ? それが数十人規模迄に下がるのに、受け入れない方が可笑しな話だと思うんだけどね」
クラリスの指摘は道理に適う物であったが、人は必ずしも道理に沿って生きるのではない。隆之が自己犠牲をしてまで、スフィーリアに住む人間達に安寧を与える理由は存在しないのだから。
「姫様もお気付きの通り、タカユキと言う男は矛盾の塊でございます。その点を指摘し、こちらの妥協点を示せば、私達に御子を授けて下さるでしょう。出来ましたならば、穏便にことを進めたいのですが……きっと、私達の行動は陛下の逆鱗に触れる行為と成りましょう。飢えた人間達が織り成す地獄絵図にあの者の弱き心は耐えられるのかもしれません。されど……」
「その様子を見た妻が心を痛めるのを見るのには耐えられないか……何だかな……エリーナって奴を殺したくて堪らなくなる。今生の魔王の寵愛を人間の小娘が集めるって、許される訳がない……」
クラリスの赤い瞳に冷徹な光が宿る。必ず老いる人間の雌を愛し続ける事は果たして可能なのであろうか。
エリーナが老いて醜くなる前にこの手で殺せば、隆之の心の中に永遠に若く美しいままでエリーナは残るのかもしれない。その答えは行動に移さねば、クラリスには分からなかった。
「ああ……それは私が急いで事に臨んでいる証でございましょうね。あの小娘を殺す為ならば、多くの上級魔人達が一つに纏まるでしょう。姫様の提言はそれだけの魅力を秘めた物です」
シンクレアは自虐的に自らを分析し、ほうっと一つ溜息を吐いた。
「別にどうでも良い。王の寵愛を受ける為の行動に移さない魔人達に助力を仰いでも、徒労に終わるに決まってる。【暴虐ベアトリス】も【欺瞞イリス】も魔王の寵愛を争う相手にしかならないわよ。折角の機会なんだから、シンクレアと私が独占しましょう。序でにあの小娘が生む御子も私達が大切に育て上げたら良いじゃない」
クラリスはそう言うと、自らの魔力を空に向けて解き放った。小高い丘より放たれた光は雲を貫き、霧散させる。
その強大な一撃は隆之に向けた【怠惰シンクレア】と【傲慢クラリス】の宣戦布告の狼煙と言えた。
「私も腹は決めたわ。シンクレアも悩まないで、もう少し単純に物事を考えてよ。あの小娘は私達が手を下さずとも、勝手に病で死ぬかもしれないじゃない。アイツが巣穴に篭った場合はその可能性が高まるだけよ。大切な者が死ねば、アイツの心に私達の付け入る隙は必ず生まれる筈よ。今回はその為の下準備として捉えれば、良いだけじゃない」
クラリスの赤い瞳が魔力開放で金色となり、彼女を中心として風が巻き起こる。草木が靡き、シンクレアの結い上げた髪が解けて揺れた。
シンクレアは苦笑しながら、イザベラへと自らの髪を直す様にと指示を出す。
(そう……私は誤りを犯しました。エリーナを殺す為に他の魔人達と手を組むべきでしたのに……ですが、もう我慢はなりませんわ。流れ行く大河にこの身を委ねることに致しましょう)
数百年の時を生きた【爵一位王妃シンクレア】は決意を示す。彼女もその莫大な魔力を解き放ち、遠く離れたライオネルに知らせる為の一撃を天に向けて放った。
その波動に気付いた者の一人は隆之であり、もう一人は今生の【英雄】であるフランク・オットー将軍であった。
──これより、君臨する事の無かった魔王と魔王を諌める為に挑んだ魔人達の戦いが始まる──




