カタール商会での策略
【暴虐ベアトリス】の治める【ルーディア】に向かう事を決めた隆之夫妻ではあったが、ベアトリスと会う為にはそれに見合った装いを繕う必要があった。
隆之は豪奢な衣装を手に入れるのは金を積めば簡単に手に入ると考えていた訳では勿論ない。
手工芸が主な製造方法であるこの【世界】において、衣服はとても高価かつ時間を掛けて作られる物だ。
そこで隆之は【カタール商会】で一番高価な衣装を整えると、自らの魔力によって変化させる事を思い付いている。
魔法行使において、一から構成を組み立てるのは難しい物であったが、素材があればその素材を変化させる事は比較的容易に出来る。
自らが想像した姿を具現化する方法は魔力行使において、大切な方法である事は隆之がオネットから授かった知識だった。
朝食は焼いた白パンと昨晩の残りのシチュー、それに取れたばかりの新鮮な野菜を用いたサラダがテーブルに並ぶ。
食後のデザートとして、柑橘が用意されていた。
それに舌鼓を打ちながら、隆之はエリーナと楽しい朝食の時間を過ごす。
エリーナは贅沢過ぎる食事内容に少しは慣れたのか、冗談交じりに「私が一人の時は稗と粟の雑炊を三日に一度食べられたら幸せだったんですよ」と隆之に告げる。
そんな生活を送っていた彼女が今では豪商と同等の食事を毎回取っている。
それが当然であるべきであり、その当然を奪う事を隆之は許さない。
「エリーナが作ってくれたならば、どんな物でも御馳走だよ」
隆之はシチューに白パンを漬けてから口元に運びながらそんな事を口にする。
「では、明日はそうしましょうか?」
と、エリーナが返すと隆之は渋い顔をした。
食べた事がないメニューであっても、それが決して美味ではない事は隆之も承知していたからだ。
【カタール商会】に行くには【転移】を用いる事は止めておいた。
隆之が不在中に自宅に用意された馬小屋の馬車を用いて目的地へと向かう事に既に決めている。
馬の世話も大変ではあったが、やってみると中々隆之にはこれが面白い。
人を雇う選択肢もあるにはあったが、自分の馬車を用意出来る隆之は家名を持つ、高貴な方の御落胤だと言う事にしておく方が何かと都合が良い。
人の口に戸は建てられない。隆之が【【魔王の美酒】である事は周知の事実であると言えたが、今生の【魔王の美酒】は人間に無害である事を知らしめる必要性があるのもまた事実であった。
【ジゼルの街】でも隆之が【魔王の美酒】である事を知る者は少なからず存在する。
【カタール商会】の関係者は多くの者が認知しているであろう。
数年間の不在と預けられた莫大な金銭が常軌を逸していると言えたからだ。
着替えを済ませ、馬車の準備を整えて隆之夫妻はジゼルへと向かう。
御者は隆之が務め、エリーナが馬車の客席へと乗る。
身重のエリーナに無理はさせたくなかったが、エリーナ自身は夫とのちょっとした旅を楽しむようだった。
道中ですれ違う【ヨルセン】の村人達に隆之夫妻は挨拶をし、地ならしされた道を馬車は進んで行く。
暫くすると、城砦を思わせる【ジゼル】へと到着した。
門は既に開かれ、通行証を呈示すると、門番は隆之夫妻の馬車を特に調査する事なく通行の許可を出す。
大通りには大店が立ち並び、通りに塵は少なく、清掃は行き届いている。
この道を少し外れると、新鮮な野菜や肉を取り扱う市場があるのだが、無許可で出されている為に混雑した上に酷く不衛生だ。
最近は市場は品不足と物価の異常な高騰により、浮浪者達が物乞いをする姿が隆之の遠目に見えた。
馬車を進めていると、椀を抱えた子供達が隆之に近寄ろうとして来たが、隆之は静かに馬車の周囲に【魔力障壁】を張り、子供達が近づけなくした。
隆之に物乞いをしようとしていた子供達が近寄れない透明な壁を不思議に思うも、隆之はそれを無視して【カタール商会】へと向かう。
商会に到着すると、下働きの者達が直ぐに隆之夫妻を大貴族並みの扱いをし始める。
馬車を預け、導かれるままに商会の奥へと通される。
隆之は商会にとっての大得意様であると同時に多額の預金をしてくれている存在だ。
上に置く事はあっても、間違っても粗相があってはならない。
隆之は下働きの者に古い穀物の取引と新しい穀物の取引をいつも通り行い、今日は衣服を購入する旨を伝えさせた。
何と尊大で歪みつつあるのだろうか。
そのような自分の姿を用意された部屋の調度品の硝子越しに眺めた隆之は自分の存在意義を強く疑うようになっていた。
自分はやはり【魔王の美酒】であり、人間ではないのかもしれない。
日に日に思う心の闇が強くなる。
飢えた子供達が近寄らないように振る舞う姿も、尊大な貴族と何ら変わる事もなく、忌々しい魔人とさえ比較対象に成り得る。
だが、隆之には大切な物、大切な者を守れない弱い自分は最も許せない。
そんな隆之の姿を妻であるエリーナは少し不安な顔で見つめていたが、隆之は気付かない振りを貫いた。
そして、【カタール商会】の長であるカタールがドアを叩く音がし、入室する。
カタールにこれからの自分のやり方を理解した上で、存分に儲けて貰おうと考えた隆之はカタールから衣装を購入し、穀物の更なる買い占めを勧めた。
それは道に外れし外道の行為であったが、より多くを救う為に取れる最適手を隆之は打つつもりだった。
問題はその捨て駒に隆之の周囲の人間は一切含まれず、卑劣男と罵られても仕方のない方法である事だった。
ともあれ、【暴虐ベアトリス】との会談の準備は進み、隆之自身は今時点においては有効に時間を活用していると言える。
その隆之の様子にカタールは、
「失礼を承知で言わせて頂きますが、貴方様には商売の素質はありませんな。今は良いでしょうが、この代償は貴方様が思った以上に高くつきますよ」
と告げるも、
「カタールさん、俺は商売人ではなく、【魔王の美酒】です。人間の敵ですよ。その点をお忘れなく」
と冷め切った表情で返した。
今は自分の味方を増やす事で隆之は精一杯だ。
無辜の民が犠牲になるのは最早確定事項であり、隆之の手によるものか、【怠惰シンクレア】によるものかの違いしか存在しないのが現状と言えた。




