隆之の日常
【欺瞞イリス】の使者として訪れた魔人バゼットを追い返して、数日が経過したある日の出来事だ。
妻であるエリーナの作った昼食を食べ終えた隆之は食後の茶を味わいながらふとこんな事を考え始めた。
それは以下の通りである。
この【世界】での金の価値が隆之には理解出来なかった。
基本的に魔人達は金を必要としないし、経済活動を行う上で誰の保証の上で価値が担保されているかなど知る良しもない。
では、金が無いとどうなるかと問われれば、答えは「困る」だった。
この世界の金にも価値の保存性としての機能は十分にあったと言えたからだ。
ここでも必要な物は大抵金で手に入れる事が可能だった。
食料も医療も医薬品も、嗜好品に至るまで金が無ければ手にする事が出来ない。
現在、隆之夫妻が口にしている茶葉もこれからエリーナが用意してくれるであろう砂糖菓子もこの世界では王侯貴族でも中々口にする事の出来ぬ一品だ。
それを隆之夫妻は日常的に口にしている。
贅沢の限りを尽くしていると人は見るであろうが、金は使わなくては意味はなく、収入に応じて支出も増えるのは自然の摂理だった。
勿論、野良仕事で出来た野菜を出荷するだけではこの生活は手に入らない。
ジゼルの街に構える【カタール商会】に預けられた金は隆之の想像を絶する程に膨れ上がっていた。
その金の出所は忌々しい【明星のスルド】に仕えるオネットからの物だったが、オネット個人に恩義を感じている隆之はその援助を受ける事で今の幸せな生活を維持していた。
さて、ここで隆之自身に矛盾が存在する。
多くの人々が苦しめられるこの【世界】において、塗炭の苦しみを味わい、搾取された金が隆之夫妻の豪奢な生活基盤を支えるのであるならば、バゼットを追い返した隆之は傲慢で自己中心的な人物と言えよう。
されど、隆之はそれで良いとも思っていた。
この【世界】はどうしようもなく残酷で、弱肉強食が基本である事はこの数年で思い知らされたからだ。
そして、隆之にこの【世界】で手に入れられる物は全て手に入れる立場にあった。
何故ならば、彼こそが今生の魔王、最強の顕在魔力と潜在魔力が具現化した存在だ。
そして、【魔王の美酒】と呼ばれる魔人に無限に魔力を提供が与う存在でもあった。
その今生の魔王である隆之の普段の生活は「人間として生きる」を是としている。
この【世界】の基準からすれば王侯貴族に近い生活水準ではあったが、隆之本人はそれを普通として認識していた。
それは彼が勝ち取った譲れない一線であり、それを脅かす者には無情の牙が向けられる。
少なくとも金に価値の保存性が認められるのであるならば、隆之には考えがあった。
隆之には錬金術と呼ぶに値する考えが浮かんでいる。
現在、使えなくなった古米等を【カタール商会】を通じて集めさせている。
古米と言えど、生きているのであるならば、隆之の【蘇生魔法】で新米へと姿を変える。
安く仕入れた穀物を新鮮な状態で【魔力結界】の中で保存する。
たったそれだけの事……
魔人達から見れば、その絶大な魔力量に驚愕の念を禁じ得ない所業ではあったが、隆之にしてみれば何の痛痒も感じない些末な事象だ。
隆之は食料や医薬品、果ては嗜好品に至るまで、【ライオネル王国】の資材、資源、物資を買い漁っていた。
それは異常な物価の高騰を招いたが、何も知らない【ヨルセン】の村人達は採れた作物が高く売れる現状に非常に満足していた。
市場に物資は不足しがちな事を完全に把握していた訳ではないが、【ライオネル王国】の物資が少なからず【怠惰シンクレア】の治める【スフィーリア】に流れている事は商会の人間から耳にしていた。
【怠惰シンクレア】は約束は守る。
領地として【ヨルセン】【ジゼル】を隆之が賜った以上は此処には手を出して来る可能性は低い。
しかし、持久戦を仕掛けられた場合は隆之には勝利する算段が思い付かない。
ならば、勝ち目の薄い相手とは戦わなければ良い。
これは【怠惰シンクレア】と【傲慢クラリス】との戦いを避ける為に隆之が仕掛けた策の一つだ。
あの二人とは何れは戦う事になると隆之は予感を覚えていた。正確に言うならば、それは最早確信に近い。
考え事をある程度纏め終えた隆之に最愛の妻であるエリーナが優しく声を掛けてくれる。
「あなた、御茶請けに砂糖菓子でも召し上がられますか?」
エリーナの言葉に隆之は「それは良い」と気分良く答えた。
これから先、2人の生活を脅かす魔人達の襲来が必ず訪れるであろう。
それに立ち向かう為には隆之は全身全霊を以って臨む必要がある。
隆之は覚醒した際に気付いた点があった。
きっと魔人達の望む物は自身の種であると。
魔人と閨を共にする事など吐気を覚えるが、この点から魔人達を殺す算段も増えて来る。
しかし、隆之には魔人と死闘を演じるつもりも、魔人と交わるつもりも無い。
最強と呼ばれる魔力保持者として寿命を迎える迄は精一杯に生き抜くとそう心に決めていた。




