一人の少女は魔人から解放されるも、一人の少女が魔人の手に落ちる
隆之達が消え去り、光源の無くなった馬車の中でレティシアは大きく息を吐いた。
「一体何だったんだよ、あいつは?」
脂汗をかきながらロックウェルがレティシアに問う。彼は魔人と対峙した経験があるが、先程の男はそれとは比べ物にならない存在であることが彼にも理解出来ていた。男は自分が弱い人間であると言ってはいたが、自分と同じ人間は間違ってもいきなり現れたり、消えたり等はしない。
レティシアは馬車の奥にある私物入れから酒を取り出し、乱暴に蓋を開けると一気に飲み干してからロックウェルの問いに答えだす。
「【魔王の美酒】さ……アンタも分かってるだろう……無限とも言われるその魔力の枷が解き放たれた正真正銘の化物さ。人間は勿論、上級魔人の手にだって余るね、アレは……考えてみれば、皮肉な話さ。【魔王の美酒】によって生み出される【魔王】なんて奴も結局は【魔王の美酒】のおこぼれを頂戴しているに過ぎなかったってことだよ」
レティシアの言葉にロックウェルは愕然とする。
「魔王よりも強大な存在が生まれてしまった訳か……」
「そんなに心配することじゃないよ…… 【魔王の美酒】も言っていただろう……自分は人間だって。少なくとも、こちらからアイツの大切な物に手を出さない限りは大人しいだろうよ。眠っている竜みたいなもんさ。しかも、お腹の満たされている竜さ。叩き起こされない限りは決して、怒ったりなんかはしないよ」
空になった皮袋を乱暴に放り投げてからレティシアは言葉を続ける。
「まあ、人間って奴は竜が何時かは起きるかも知れない不安に耐えられないんだろうけどね……きっと、眠っている竜の尾っぽを好き好んで踏みつけてくれるだろうさ……」
レティシアの言葉には人間に対しての多分の皮肉が込められている。
レティシアは迷い込んだ一匹の蛾を優しくそっと拾い上げ、月と星の照らす夜へと解き放った。
◆◆◆
目の前で鎧に身を包んだ化物共が彼女達を埋める為の穴を掘り、その横では別の化物共が彼女達の首を撥ねる為の斧を砥石で懸命に手入れをしていた。
目隠しをされ、両手を後ろに荒縄で縛られた隆之の屋敷の使用人達がその穴の前で跪いている。
隆之が消えた翌日に彼らは【怠惰シンクレア】の手の者によって拘束され、処刑されることが決まった。
隆之の執事であったジャスパー等の古参の召使達はそのまま屋敷に留め置かれ、隆之に仕えて日の浅い者達がこの場に集められている。
数日前に屋敷に仕え始めたミーシャもその一人だった。
主人である隆之が自傷したにも関らず、主人の治療を行わずに競りに参加した召使の一人に競り落とされた彼女は屋敷の中でその男の夜伽をする仕事が与えられた。
ミーシャの本当の主人である隆之は彼女が屋敷に来たことなど知りもしなかっただろう。
「【魔王の美酒】様の屋敷に行けば、皆が大事にされて美味しい物を食べさせて貰える」という彼女達の希望は幻想に過ぎなかった。
其処には古参と新参の間に凄まじい階級の差が存在していて、部屋に閉じこもった主人を良いことに古参の奴隷達はやりたい放題をしていた。
ドン……ドン……と一定の太鼓のリズムが響き出し、ミーシャの耳に二人の魔人達の会話が聞こえてきた。
「ねえ、シンクレア。本当に首を撥ねるだけなの? 勿体無いじゃない。そんなことをするくらいなら私にくれたっていいでしょ?」
「姫様、お言葉ではございますが、あの屋敷の規模でこれだけの人数は必要ありません。よって、速やかに処分をする必要がございます」
「だから、単純に首を撥ねるなんて面白くないって言っているの! 私は!」
「お気に召す者がこの中にいるのであれば、姫様のお好きなようになさっても構いません」
「本当? じゃあ、どれにしよっか……七日前、遂にあの娘が死んじゃったから……新しい玩具が欲しかったんだよねえ……まあ、それはゆっくり選ばせて貰うことにして。でもさ、アイツって結局何がしたかったの? やることに一貫性が無いじゃない……自分が逃げたら残されたこの子達がどうなるか分からない程馬鹿だったの?」
「タカユキのことでございますか? あの者は良くも悪くも弱い人間に過ぎませんわ。自分の限界を自分で決めてしまう弱い人間……己の分に過ぎた力を持ったとしても、あの者のすることは容易に想像出来ますわ。例えば、目の前で姫様が子供を殺そうとなされたならば、あの者は姫様の勘気を蒙ることを承知で止めるでしょう。しかし、自分の目の届かない所ではどれ程残虐に子供が殺されていようとも、自分の幸福だけを考える存在ですわ。それが人間と言う物です」
「でも、どうする? シンクレアと二人がかりでも正直アイツを殺すのは難しいと思うけど……【爵一位王妃】二人でも厳しいってまさに今生の【魔王】ね。しかも、どちらが先に相手を傷つけたかで勝負が決まるなんて面白くも何ともないし……私達が先に血を流せば、アイツの勝ち。アイツが血を流せば、私達のどちらかが【魔王】へと覚醒するなんて冗談じゃないわ……」
「あら? 姫様はお気づきでしたか?」
「そこまで鈍くないわよ、シンクレア。貴女は幾度も【魔王の美酒】を飲んでいるし、私は一回で十分よ。せめてアイツも自分が成長すれば成長する程、私達に与える恩恵も計り知れない物になることには気付いて欲しかったわね」
「タカユキには少しだけ罰を与えることに致しましょう。もう直ぐ、【ライオネル】が我が領地に攻めてきます。さすれば、ライオネルに侵攻し、あの国中の民を【ジゼル】周辺に追い込むことに致しますわ。飢えた人間達が繰り広げる地獄絵図にあの者の弱い心が絶えられるかどうかは考えるまでもありませんから……」
「うん、それ良いね。じゃあ、この話はこれ迄にして……私は新しい玩具を選ばせて貰うね。でも、助けるならアイツに対しての人質の価値が欲しいな。アイツに抱かれてたら子供を宿しているかもしれないし、アイツに対してちょっとは有利になるかもしれないから、そんな子を選ぶことにするね」
「ご冗談を……」
「いやいや、聞いてみなきゃ分からないでしょ。その子なんて美人だし、アイツだって男なんだし、手を付けて無いと言い切れる? ねえ、その子を立たせて」
不意にミーシャの左右の二の腕が掴まれて、彼女は無理矢理その場に立たされる。突然のことに戸惑いながらも彼女は其処に生きる機会を見出した。
「ねえ、正直に答えて……君はアイツに抱かれていたの?」
クラリスの言葉にミーシャはすぐさま答えた。即ち、是と。
「ふーん、君って面白いね……シンクレアの前でこうも平然と嘘をつく娘なんて初めて見た……」
クスクスとクラリスは笑い、ミーシャは必死に自分は主人の寵愛を受けていたと、嘘では無いと弁明した。
「いいよ、いいよ。君に決めたからさ。これから短い間とは思うけど、私の趣味に付き合って頂戴ね」
ミーシャは自分の命が助かったことに安堵を覚え、クラリスに感謝を告げる。縄を解かれた彼女は自分で目隠しを外した。
そして、その場の光景に絶句し、その顔を青褪めさせていった。
太鼓のリズムに合わさって振り下ろされる斧によって、召使達の首が次々と撥ねられていく。
淡々と続く作業を行う化物達がミーシャにはとても恐ろしい。しかし、横に立った赤みを帯びた金髪の美少女が更に彼女を絶望へと誘う。
「【魔王の美酒】に抱かれて臆面も無く生きてる君ってとっても貴重品だし、面白いから君に決めたよ。君はこんな死に方出来ないけど、直ぐには壊れないでね。期待しているからさ」
ミーシャに語りかけるクラリスの瞳は目の前で流れる血よりも深い赤い色をしていた。
一人の少女が魔人の手から救われ、一人の少女が魔人の手に掛かる。
この世界はこれからも理不尽に満ち満ちていた……




