人は生きる
【怠惰シンクレア】が治めるスフィーリアには人間の住む街がいくつか存在する。
例え、それがシンクレアの愛玩動物である黒竜の為に設けられた物だとしても、人々は日々の営みを忙しなく送っていた。
市場には物が溢れ、大通りに面した場所では行商達が商魂逞しく商いを行い、大道芸人が自らの芸を競い合う様が見て取れた。
「へぇ……これが、魔人の治めるスフィーリアねえ……」
街の喧騒を目の当りにしたレティシアが馬車の中から呟いた。
【怠惰シンクレア】の治めるスフィーリアの街に対して抱いていたイメージを根本から覆された彼女は馬車から顔を出しては物珍しそうにしている。
「所詮は偽りの繁栄に過ぎんよ。こいつらは【怠惰】の愛竜の生餌に過ぎない」
レティシアの言葉にロックウェルが仏頂面で答える。彼には忌み嫌う魔人の治める領土が繁栄していることが許せないらしい。
「あらっ、【無双】様はこの街がお嫌いなのかしらねえ?」
レティシアはロックウェルの憮然とした態度を茶化す様に話し掛けた。
確かにこの街に生きる者達は何時、黒竜に襲われてその命を散らすのか分からない。しかし、それでも懸命に生きている人々を馬鹿にする事は誰にも出来ない筈だ。少なくとも、レティシアはそう思う。
「こいつらは飼われている事を受け入れている。人間の誇りを捨てた家畜共だ。偽りの安寧を享受し、戦おうとしない。弱者の幸せなんて、俺には理解出来ないな」
ロックウェルの吐き捨てるかの様な言動にレティシアは眉を顰めて、反論した。
「あのさぁ……誰もがアンタや私みたいに強い訳じゃ無いんだよ。今を一生懸命生きている人達を馬鹿にする権利なんて私達にあるとでも思ってんのかい? そいつは傲慢ってやつさ。彼らは日々、命の危険に晒されながらも腐ること無く生きてんだよ。アンタには彼らが弱く見えるかもしんないけど、私には見えないねえ。こんな絶望の地に浚われても希望を見失っていない人達を二度と家畜なんて言うんじゃないよ!」
「何をそんなに怒る? 奴らのことを馬鹿にしたことが気に障るようなことか?」
強い口調で怒りを顕わに反論してきたレティシアにロックウェルは驚く。【全能】と呼ばれ、不可能は無いと言われ続けた彼女が弱者を馬鹿にされる事をこんなにも憤慨するとはロックウェルも思っていなかった。
「アンタは強いからさあ……弱者の気持ちが分からないってのは理解できる。でもさ、少なくともあの人達を家畜なんて呼ばないでおくれよ。そんなのアンタの大嫌いな魔人と何処が違うってんだい?」
レティシアの言葉がロックウェルの心に雷鳴を与える。ロックウェルは息を飲み、落ち着かせるようにして肺から空気をゆっくりと吐き出した。
(そうだ……レティシアの言う通り俺の考えは忌むべき魔人共と何ら変わることが無い……)
ロックウェルの動悸が激しくなり、顔が見る見る赤面していく。嘗て、弱かった自分が救えなかった家族の仇を討つ為に傭兵の道に進んだロックウェルは知らず知らずの内に彼の家族を奪った魔人と同じ考えを持っていた事を羞じた。
「済まない、レティシア……貴女と彼らに心より謝罪する。この剣に誓う故、此度の事は水に流して欲しい……」
彼は父親より譲り受けた剣を目前に翳し、少し刃を出した後でカチリと音を立ててから刃を収めた。
「親父さんに誓うなんて大仰だねえ……別にもう怒ってないよ」
彼の誓いが父に対して行われた事にレティシアが軽く笑って彼を許す。
ロックウェルはレティシアに対して教わることが未だに多きことに苦笑し、この何時までも頭の上がらぬ自分の師匠に感謝した。
「さてと、もうそろそろ着くみたいだよ。お目当ての【魔王の美酒】は上手く釣れると良いねえ……」
レティシアが後ろを振り返り、一人の奴隷を見て呟いた。




