兄として伯父として
冒険者又は傭兵と呼ばれる者達がこの世の中には存在している。
各地域にあるギルドに所属した彼らは戦時には兵士として戦場に赴き、平時には魔獣などの討伐を生業として日々の糧を得ている。危険と隣り合わせの生活の中で育まれた彼らの気性は荒いものとなりやすい。
レティシアも傭兵の一人であり、ギルドの命令を受けて【カタール商会】を訪れていた。動きやすさに重点を置いた革鎧を身に着けた彼女は並みの男性よりも頭一つ背が高く、首への攻撃を防ぐために赤みを帯びた金髪を背中にかかるまで伸ばしている。
小麦色の肌は南方地方特有のものであり、豹を思わせるしなやかさと柔軟さを持ち合わせた筋肉が全身を覆っていた。
商会の男性がレティシアを案内した応接室には既に先客がおり、彼は彼女が良く知っている人物だった。
「久しぶりだね、【無双】。あんたも呼ばれたのかい?」
「ああ、モール以来か……相変わらずのようだな、【全能】」
彼女に無双と呼ばれた男の名前はロックウェルと言い、彼女と同じ傭兵だ。彼は椅子に腰掛けて既に用意された酒を嗜んでいる最中だった。
ロックウェルはレティシアと違い、ギルドが支給する上級者傭兵用の正装を身に付けこれといった防具は付けていなかった。
顔の彫りが深く、澄んだ湖を思わせる碧眼が特徴のギルド内でも屈指の美男子たる彼は最近六人目の子供が生まれたばかりだと彼女は聞いている。
問題は子供の母親が全員違うというだけだ。
「全く……お互い如何にも頭が悪そうな二つ名に辟易するよ」
「そうぼやくな。これも傭兵の義務みたいなもんだ」
ロックウェルが声を掛けると案内の者がしばらくお待ち下さいと声を掛けてから一礼した。彼はこの商会の最高責任者を呼ぶ為に退室する。
ロックウェルはドアがしまったのを確認してからレティシアに少し声を抑えて切り出す。
「お前は用件を聞いているのか?」
「さあ、知らないね。カタールの兄さんに呼び出されたんだけど、使いの者は依頼内容までは話さなかったからね」
レティシアは皿に盛られた果物を一つ手に取って齧りながら答えた。ロックウェルと違い声を抑えるつもりは彼女にはないらしい。
「俺も似たようなものだ」
「こう言っちゃ何だけど、私とロックウェルを呼び出すなんて唯事じゃあないね。まあ、今までもまともな依頼なんてお目に掛かったことなんてないさね」
レティシアは小皿に果実の種を吹き出し、更に違う果物に手に取った。
「前金で金貨百枚、成功報酬が金貨二百枚の依頼がまともな訳があるまい」
呆れた口調のロックウェルは手酌でグラスに用意された酒を注ぐ。粘性の少ない無色に近い液体が冷えた器に溢れんばかりに注がれた後で、彼は彼女にも勧めてみることにした。
「旨いぞ。【セイシュ・ヨシマサ】の百二十年物だ。お前も飲むか?」
今は無きモール王国の幻の酒に眼を見張ったレティシアは返事の代わりにロックウェルが今注いだばかりの器を奪い、一気に飲み干す。
一言旨いと呟いた彼女は当然の様に空になった器をロックウェルに差し出して代わりを催促する。無言で器を突き出す彼女にロックウェルは苦笑するより他無かった。
二人が用意された酒瓶を半分程胃の中に納めた頃に商会の主人であるカタールを連れて案内の者が戻ってきた。
カタールは労いの言葉を掛けた後で少しだけ申し訳無さそうに挨拶を始めた。
「お待たせいたしました、レティシアさん、ロックウェルさん。」
「遅いよ、兄さん。人を呼びつけておいて待たせるもんじゃあないよ。さっさと、用件を話しな!」
頭を下げて入室して来たスティルにレティシアが口を尖らせて話す。
ライオネル王国の商会である【カタール商会】の会長であるカタールは10年前に先代から後を任せられたのだが、この短期間で商会の規模を三倍以上に伸ばした実績を持つやり手の男だ。
しかし、初対面の人間は目の前の癖のある金髪をした童顔の男がこの商会の総責任者であることに気付くことは無い。
「それでは単刀直入に依頼内容を話すことにしましょう。お二人に頼みたいのは一人の少年をある所まで連れて行って頂いた後で、その屋敷に住む夫妻とその子を連れてここまで戻って来て欲しいのです」
カタールが依頼を簡潔に説明する。その内容にレティシアとロックウェルが訝しんだ。これは子供の使いの内容であり、現役最強の傭兵への依頼では無い。
「へえ、それだけだと随分簡単な依頼にしか聞こえないねえ」
レティシアが笑いながらカタールに向けて話すが、眼は決して笑ってはいない。カタールという男が持ってくる依頼がその様な単純な訳が無いからだ。
彼女は今度の依頼に不信感を募らせていた。そんな彼女とは対照的にロックウェルは黙って、酒を飲んでいる。
「そうです。簡単な仕事ですよ。場所と夫妻の名前が他のものであるならば……」
「焦らすことなどあまり意味があるとは思えないね。手短に頼むよ、兄さん……」
レティシアは正確な依頼内容をなかなか話し始めないカタールに苛立ちを覚えていた。王国最高と呼ばれた自分に対して恰も依頼達成が不可能だと言われているようで気分を害する理由としては十分すぎる。
今まで全ての依頼を達成したきた彼女に対してあまりにも礼を失するものではないであろうか。
「【無双ロックウェル】、【全能レティシア】の国内最高の貴方達に今から依頼する内容は困難を極めるものです。依頼内容は奴隷の少年を【スフィーリア】まで連れて行き、【魔王の美酒】であるタカユキとその妻エリーナを無事にこの王国へ招くことです。受けて頂けますか?」
「【魔王の美酒】をこっちに引きずり込むってのかい! 兄さん、正気なんだろうね?」
レティシアは予測もしてなかった依頼内容の突拍子の無さに声を張り上げて答える。
「正気であるかと問われましたら、返す言葉がありませんね。しかし、この馬鹿げた案に多くの者が命を懸けています。お二人を見込んで話しましたが、気が進まないようでしたら断って頂いて結構です」
「【魔王の美酒】夫妻の誘拐など、【怠惰シンクレア】の逆鱗に触れるのではないか?」
此処まで沈黙を守ってきたロックウェルがカタールに当然の疑問を投げかける。遂に酒瓶は空になり、心無しか彼の秀麗な顔に赤みが差している。
「タカユキさんはもともと【ヨルセン】の住人ですよ。連れ去られた人を取り戻すだけです。卑劣な手を用いて二人を連れ去ったのは【怠惰シンクレア】の方が先ですから……」
その口調は普段温厚なカタールには似合わない静かな怒りが含まれていた。
「兄さん、あんたらしくないじゃないか。火中の栗を好き好んで拾おうとするなんて気が狂ったとしか思えないよ」
「レティシアに同意だ。この商会を潰す気なのか?」
折角の名酒の酔いが醒めたと小声でぼやきながら、ロックウェルは溜息を吐いた。
「モール王国の伝説の勇者【ヨシマサ】も元は【魔王の美酒】であったことは御存知ですか? 一般的には【勇者】と呼ばれておりますが、彼の魔力は枯渇することが無かったそうです。無限の魔力を持つ【魔王の美酒】以外の何物でもなかったのですよ。彼の築いたモール王国が滅亡した今、ライオネル王国は西に【怠惰シンクレア】、北に【暴虐ベアトリス】とかつて無い国難を迎えております。これを打開する為に【魔王の美酒】をこちら側に引き込みたいというのがフランク・オットー将軍の本音です」
「はぐらかすな! 兄さんの本音が聞きたいんだよ!」
レティシアが叫ぶ。感情の高ぶった彼女に対してカタールは顔色一つ変えずに淡々と説明しだした。
「本音ですか? 良いですよ。お話致します。私には妹がいたんですよ。名前はリリーナと言いました。両親の反対を押し切って冒険者と駆け落ちしたんですが、とある村で病で死にました。駆け落ち相手の男も先の戦で戦死し、妹の娘が一人残されたんですよ。妹からの最後の手紙には娘を頼むと書いてありました。その手紙を読んだとき、私は何て勝手な妹なんだろうと思いました。勝手に家を出て、勝手に結婚して、子供を産んで、幸せに暮らしてる妹が羨ましかった。いや、違いますね。私は妹が妬ましかった。でも、同時に自分の望むままに妹には生きて欲しかった。幸せになって欲しかった。一度だけ御者に扮して姪の顔を見に行った時には彼女は夫と共に幸せそうな顔をしていました」
カタールの血縁関係に驚いたレティシアは
「【魔王の美酒】の妻のエリーナは兄さんが伯父だって知っているのかい?」
と、話の腰を折るのを承知でカタールに問いただした。それに対して、
「いえ、知りません。奴隷に身を堕とす寸前に助けるつもりでしたが、【魔王の美酒】によって救われました。エリーナは実に幸せそうでした。これが妹の手に入れていたものなんだと確信しました。いつまで経っても兄にとっては妹は我侭なものなんですよ。商会の長としては失格ですが、一人の兄として、伯父としては人並みになりたいと思っただけです。妹のことは言えないくらい私も我侭ですね……といった理由ではお気に召しませんかね?」
カタールは最後の部分だけ少し茶化した感じで締めくくる。
「いや、兄さんにしては上出来だよ。私はこの依頼受けてやるよ。ロックウェル、あんたはどうするんだい?」
レティシアに問われたロックウェルはカタールの話の途中から目を瞑ったままだ。
「はあ……仕方ねえな。俺も乗るよ。お前さんも随分人が悪いな。魔人絡みの依頼を俺たちが断る訳が無いからな。まあ、糞魔人共に一泡吹かせることが出来るのなら面白そうだしな。だが、成功報酬は全額前金が条件だ」
ロックウェルが不適な笑みを浮かべて賛同の意を示す。緊張に乾いた唇を舐めながら己の覚悟を表明した。カタールはロックウェルの提案に二つ返事で承諾した。
「ありがとうございます。では、明日の朝には出立致しますのでそれまでには準備をお願いいたします。不躾ながら私も同行させて頂きますが、その点は何卒御了承下さい」
カタールは商会の者を呼び出して迅速に指示していく。
「へえ……兄さんも来るんだね」
意外そうにレティシアが呟く。嬉々として準備を進めるカタールはこれから死地に赴く者とは思えない。
「当然ですよ。リリーナは私にエリーナのことを託したんですから。貴方達にではありません。これは兄として譲れないものがありますよ」
笑顔で答えたカタールにこの任務を失敗させるつもりも毛頭無い。
(危険は大きいですけど、成功すれば得る物も計り知れないですから……商会の長としても失格とまではいかないかもしれませんね。ねえ、リリーナは認めてくれるだろう?)
国の命運を掛けた策の決行まで翌日に迫ったにも関らず、世間は何も変わらぬ日常を謳歌していた。




