拙き謀略
オットー公爵家の執務室でいきなり土下座をしたヴァンに公爵はヴァンに立ち上がるように指示を出した。
ヴァンは中々、面を上げようとしなかったが、公爵から言われて恐る恐る立ち上がる。
「大筋のことは息子が先程、私に申したのだが、そなたが説明してくれるそうだな。【ヨルセン】のヴァンと言ったか……それにしても噂には聞いていたが、【ヨルセン】の者達が豊かになったと言うのは本当のことらしいな。確かに平民とは思えぬ身なりをしておる」
ヴァイス・オットー公爵は綺麗に整えられた髭を撫でながらヴァンの身形を見た感想を述べる。ヴァンの服装はヨルセンの村人達が公爵に謁見する彼の為に金を出して誂えた物であり、無論公爵も此れを彼の普段着で無いことは承知している。
「父上?」
この場において特に意味の無い発言をする父に息子であるフランク・オットー将軍は苦笑しつつも嗜める。
「すまぬ、この場においては関係の無いことだったな。フランクよ、この者が申す【タカユキ】とやらが【魔王の美酒】であったか」
執務室の机を右の人差し指で軽く2回叩いてから息子に視線を移して問いかけた。その視線は細められて優しげであったので、フランクは特に気にすること無く父である公爵からの問いに是と答えた。
息子からの返事を聞いた公爵は軽く息を吐き、椅子の肘掛に頬杖を突きながら語り始めた。
「そなたが策とやらを申す前に言っておきたいことがある。そなたは私に【魔王の美酒】を救って欲しいと申したが、結論から申すと正直難しいものだ。【魔王の美酒】を生かしておく確たる理由が無い。考えれば分かることだが、【魔人】に無限の魔力を与え続ける存在を野放しに出来る訳が無いのだ。重臣達は【魔王の美酒】を味方に付けることよりもそなたを利用して【魔王の美酒】を暗殺することを図るであろうな。然るにそなたは暗殺以上に有効かつ成功率の高い策を我らに示す必要があることは理解出来るな?」
公爵の話を聞いていくに連れてヴァンの顔色が見る見る悪くなっていく。公爵が思うにヴァンは彼が指摘する迄その可能性を考慮に入れていなかったようだ。公爵は更に追い討ちを掛けるかのように続ける。
「不服ではあろうが、それが王国にとっての一番の良策だと考える者達が多数を占めるであろうことは間違いない。かく言う私もその一人だ」
公爵がヴァンへ向けた言葉には虚偽が無い。咄嗟に浮かんだ考えではあったが、一考するだけなら悪く無い。村で共に過ごしたこの少年ならば【魔王の美酒】も油断するだろう。必ず隙を見せる筈に違いなく、少ない危険で大きな見返りを得ることが出来る。
「公爵様、俺は見ての通りの農民ですし、戦働きもしたことがございませんが……」
「そなたに武を以って【魔王の美酒】を斃すことを期待しておる訳ではない。そなたは【魔王の美酒】、タカユキと共に過ごしたのであろう。彼の口にする物に少量の薬を混ぜることは容易いことだとは思わぬか?」
公爵のタカユキを毒殺せよとの申し出にヴァンは迷うこと無く、それならば出来かねると即答した。
「俺は兄ちゃんを救いたくてお願いに参ったのです。兄ちゃんはエリーナ姉ちゃんを捕らえられて【怠惰シンクレア】に無理矢理従わされてる。俺は……兄ちゃん達が捕らえられて連れ去られる時に別れを言った覚えはありません。だから、取り戻しにいく。それだけのことです。オラは両親を昨年亡くしました。だから、奴隷の身分にされても不思議では無い。スフィーリアに兄ちゃんの屋敷があることは調べがついています。兄ちゃんは奴隷を買い漁っているそうです。あるだけの財を投げ出して兄ちゃんはオラ達を救ってくれた様に今自分が出来ることをやろうとしているんです。タカユキ兄ちゃんは【魔王の美酒】なんかじゃない。俺達にとっての恩人なだけです」
話すにつれてヴァンの胸に熱いものが込み上げてきた。
タカユキに会った頃はどうしても警戒感が抜けなかった。タカユキが村の皆を集めて宴会をし始めた時は馬鹿にしていた。
「おめえ…馬鹿だろ…こんなことしたっておめえに何の得があんだよ?」
大鍋で作られた料理を夢中で食べながらヴァンはタカユキに尋ねた。
「別に意味は特に無いよ。目の前にお腹を空かせた子供たちがいるのに、大人の俺がお腹一杯食べている。ただ、それが俺は嫌なだけだよ」
「おめえ、神様にでもなったつもりか? そんなの切りがねえ……」
「ヴァン、そんな大げさな話じゃあないよ。俺の手は2本しか無いから出来ることは限られる。でも、今俺に出来ることはやっておきたいんだよ、心のあるままにね……」
「やっぱり、おめえは馬鹿だ……でも、馬鹿のすることでも礼だけは言っとく。ありがとな……」
ヴァンは椀で顔を隠して呟いた。横目で見たタカユキは口の端が緩やかに弧を描いていた。
次第に語られる策の詳細をヴァンは熱弁する。その様に公爵も魅せられていった。
(ほう、良い眼をしておる。こういう眼をする者は万人が出来ぬ奇跡を起こすやも知れぬな。まあ、謀としては拙いが、存外単純で馬鹿馬鹿しいと言える程の物の方が上手くいくやも知れぬな)
説明が終わった時、ヴァンは額に汗を浮かべて息も上がっていた。
「そなたの熱意は私にも良く分かった。そなたの策に私も乗ってみることにしよう。但し、【魔王の美酒】の暗殺案が出た際には反対するつもりも無いことは肝に銘じておくが良い。さて、フランク、【魔王の美酒】を匿うことは王家に対する叛意有りと捉えられても文句は言えぬ。お前は如何する?」
「是非も無いことです」
机の横に立ったフランク・オットー将軍は公爵に答えを既に出している。勝算が薄い戦いが始まろうとしているのだ。少しでも勝利の可能性を上げる為に謀は多ければ多いほど良いに決まっている。しかも、この策は他の物と違って成功した時の見返りが破格過ぎた。
父である公爵に頷いた後、彼はヴァンに向けて話し始める。
「ヴァン、既に承知だとは思うが、お前は罪人として顔面に刺青を入れられた後にその手の甲に焼印を押すことになる。【スフィーリア】への奴隷など本来ならば認められる物ではない。君の身元が調べられれば、【傲慢クラリス】の拷問がお前を待っているだろう」
そこで一旦話を切り、フランクは内ポケットからコルク栓の付いた小さな白い陶磁器を取り出し、ヴァンに差し出した。
「捕らえられたその時にはこれを使え。楽になれる」
ヴァンは頂戴しますと礼を述べて、小瓶を受け取った後で部屋から出て行った。
「フランク、あの子供を絶対に死なせるな」
ヨルセンの村へと向かう馬車を窓越しに見送りながら公爵は背後に控える息子にしっかりと命じた。
「要の少年を随分お気に召されたようですね。父上、御安心下さい。あの子が死ぬことの無きよう、既に手は打っております」
「分かっておるならば良い……」
公爵は謀略における犠牲を厭わぬが、ヴァンを死なせてしまっては取り返しがつかないことを自覚していた。確かに死なせるには惜しい人格ではあるが、それは理由とは足り得ない。
公爵の勘に過ぎなかったが、ヴァンの死が齎す物が全てを根底から覆すような気がして彼はそのことを案じていた。
(【魔王の美酒】の内応など、正気の沙汰とは思われぬであろうな。だが、今はその愚策を何としても成功させねばなるまい。この王国全ての者達の為に……)
例え、この行為が国王に対する叛逆と捉えられようとも、二人の国を憂う気持ちに偽りは無い。
公爵は絶望に覆われた祖国を救う確かな希望をこの手にする為に打てる手は全て打つつもりだった。




