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魔王の美酒  作者: 白起
魔王の美酒 奪還編
35/88

偽ることの出来ぬ心

【暴虐ベアトリス】の配下の下級魔人及び魔獣を主体とした魔軍は雪深き季節での強行軍を開始した。

 人間にとっては自然が障害となるこの季節でも魔人達にとってはその限りではない。

 三万の軍勢がモール王国の王都【エルダール】を目指し、【暴虐ベアトリス】の治めるルーディアを出立した。この厳しい寒さの中の行軍に牧場から連れ出した人間(かちく)が耐えられないかもしれないが、特に問題は無い。

 万が一、家畜共が全滅したとしても魔人達は一度食事を取れば数か月の間は何も食べなくても生きていける。その死肉を食らわせておけばモール王国を滅ぼすまでの間食料を心配する必要は無いのだ。

 行軍は順調に進み、王都までの道程(みちのり)で抵抗らしい抵抗も無く各都市を陥落せしめている。街の住人達は避難を始めており、都市の中には殆ど人間は残ってはいない。

 王都への橋頭保(きょうとうほ)となる都市【マスタナ】を落とした【暴虐ベアトリス】は四人の側近達にそれぞれ七千ずつの兵の指揮権を与え、近隣の都市の制圧を命じたのだった。

 マスタナに(こも)るのは【暴虐ベアトリス】と【魔王(ビス)美酒(ケス)】である隆之、それに精鋭ではあるがたった二千の魔人達でしかない。

 この典型的な兵力分散の愚を犯したのには理由がある。

 モール王国軍がこの千載一遇の好機を逃す訳も無く、【勇者】を先頭に軍を出せば、フランク・オットー将軍が(もたら)した勝利を掴めるかもしれないと言う希望を彼らに与えてやることにしたのだ。

 勿論、【暴虐ベアトリス】には籠城戦(ろうじょうせん)をするつもりなどは一欠けらも存在しない。雪深き大地での決戦を望んでいた。

 これは明確な罠であり、彼女は四人の部下達にも人間達が出陣すれば王都【エルダール】に直行するように命じてある。

 この罠に誘われてのこのこ巣穴から人間共が出てきても良いし、近隣都市の残存する人間を狩るのも良い。

 彼女にとってはどちらに結果が転がってもどうでも良いことだったが、十中八九は人間どもは此処(ここ)を目指して進軍してくることになるだろう。

【暴虐ベアトリス】にとって【魔王(ビス)美酒(ケス)】である隆之と共にマスタナで過ごす新居を相応しいものにすることの方が重大であり、【勇者】など歯牙(しが)にも掛けていなかった。

 ベアトリスは部下に命じ、全ての人間(かちく)を使ってその地に住んでいた富豪の住居を改築させ、豪勢な新居を2日で完成させる。

 彼女の居城である【アスディアナ宮殿】の足元にも及ばぬ出来栄えにベアトリスに不満があったが、隆之がその出来栄えに納得した為に人間たちは処分されずに済んだ。

 誰にも邪魔されずに二人で過ごす時間は【暴虐ベアトリス】にとって新鮮であり、この時間を邪魔する物が現れた場合の処刑方も全軍に伝えてあった。


(あの人の残した国を私が滅ぼすか……国は滅んでも民は残る……あの人の望んだ物は人だから……)


 ベアトリスと隆之の寝所で彼女は天蓋(てんがい)の付いた大きなベッドの上で(くつろ)ぎながら考えごとをしていた。

 彼女の目の前では【魔王(まおう)美酒(びしゅ)】である隆之が暖炉の前にある椅子に座って読書をしている。彼らに会話らしいものはあまりないが、静かで落ち着いた空間がベアトリスには心地良い。


「ベアトリス様も酷なことをなさいますな……このような策を取られてはモールも動かざるを得ないでしょうに……」


 穏やかな口調で話し掛けてくる隆之にベアトリスは姿勢はそのままで返答する。


「全てはお主の為よ、タカユキ。王都エルダールを完全に封鎖することは三万の軍勢では不可能だからな。そちの獲物である【勇者】が出て来易いようにしただけのこと……」


「モールが取るべき策は動かないことが上策、ベアトリス様の四人の将軍の率いる軍の各個撃破(かっこげきは)を図るが中策、このマスタナに攻めてくるのが下策と言ったところですね」


 隆之に軍事的な知識はあまり無かったが、少なくともベアトリスの目的を理解するだけの頭は持ち得ている。

 (たま)にではあるが、隆之のベアトリスに対して口調が砕けて来たことに彼女は心が高まっていくのを感じていた。

 この戦が終われば、彼を【怠惰シンクレア】の元に返さねばならない。このことを考えると、ベアトリスの胸が締め付けられる様に痛み出す。


「人間の取るべき行動などはどうでも良いことよ……それよりも予が望むのはお主とこのまま何ことも無く過ぎていく日々を穏やかに送ることよ。そなたが人間を(あわ)れむと言うならば、モールの民をお前にくれてやる(ゆえ)、好きにするが良いぞ……」


「それでは、ベアトリス様の部下の方々が納得致しますまい。お心だけ有り難く頂戴致します」


「あ奴らのことはお主が案ずることはないぞ。部下の働きに十二分に報いるだけの財は私にもあるよってな……」


 ベアトリスからこのような提案を受けるとは隆之は正直思ってもいなかった。自分に対しては優しい彼女が人間に恐れられている【暴虐ベアトリス】と同一人物であるなど、誰も信じないであろう。


「タカユキ、これだけは覚えておくが良いぞ。お主が私の物にならぬことなど予も先刻承知しておる。どれだけお主に尽くそうが、お主の心が予に向くことがないことも……だが、それでもお主の望むものならば何でも叶えてやりたいと思ってしまう……。真に()せぬことよ……考えておくが良いぞ。先程の言は(たわむ)れではない。お主が望むのであれば、このモールの民の処遇はそなたに任せても良い。生かすも殺すも好きに致すが良い」


【暴虐ベアトリス】の提案は魅力的であり、隆之には断る理由が無い。

 直ぐ様、ベアトリスに(ひざまず)き、領内の人間に希望を与える施政を懇願した。

 人間を家畜として扱うのではなく自治をさせて欲しいとの要求は彼の赤心(せきしん)であり、まだ隆之が人間である証拠でもあった。


「非情を装っておっても直ぐに化けの皮が()がれるの、そなたは……だが、そのようなところも愛おしく思うわ……お主の望みがそれだと言うのなら叶えてやる。もう休むことにする(ゆえ)、そなたも休むが良い」


 ベアトリスはそう言うと、ベッドの掛物を少しめくり、愛しい【魔王(ビス)美酒(ケス)】を(いざな)った。

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