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魔王の美酒  作者: 白起
魔王の美酒 奪還編
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今生の勇者

 神田彩人かんだあやとが目を覚ました時、彼は見覚えの無い部屋に居て、そこで立っていた。


(あれ? なんで僕はこんな所で突っ立てるの?)


 部屋には何もなく、黒い石壁に覆われた空間に窓は無い。光源が何処どこにも見当たらないにも関わらず、不思議と彼の視界は明るかった。

 部屋の奥には見知らぬ老人と少女が目の前に立っており、老人が彼に話しかけてきた。


「お目覚めですかな、【勇者】殿」


 老人が彼に対する口調は丁寧だが、彼の名前は勇者ではない。彼は予備校が終わって電車の中で眠ってしまっていたが、どうやら車庫まで乗り過ごし、そこで車掌に起こされた訳ではないらしい。


「状況が御理解頂けぬようですな、【勇者】殿」


 老人が相変わらず【勇者】と言う訳の分からない単語で綾人のことを呼んでいる。後ろに控える少女は老人に付き従ったまま沈黙を守っていた。


「ここは何処どこですか?」


 彩人は今自分が置かれている状況にあわい期待を抱いている。これは話に良く聞く【勇者召喚】なのかもしれない。もしかすると、自分が普段妄想の中でしか実現できなかった夢が叶えられたのかもしれないのだ。

 彼は時が経つに連れて高まっていく自分の心を抑えるのに懸命だった。


「貴方の御想像通り、私はこの世界の神と呼ばれる女神【スフィールド】様にお仕えする者でございます。今、この世界は【魔王】と呼ばれる災厄の復活を遂げようとしております。そこで、我が主は【魔王】の復活を阻止される為に異界より貴方様を招かれた次第にございます」


 老人の答えは彼の期待に応えてくれる物ではあったが、彼の質問に答える物では無いことに彩人は気付けない。


(勇者、この僕が! やっぱり、この世界を救う英雄として招かれたんだ!)


 突然の幸運に彩人ははやる気持ちを抑え、女神の使者である老人に質問をする。


「でも、僕は前の世界では普通の高校生でしかなかったのですが……」


「普通の人間が【勇者】として招かれる訳はございませぬ。貴方様は人間最強の【魔力】を秘めておられます。その力を用いてこの【魔人】に虐げられた世界をお救い願いたいのです」


 老人の答えは当然の物だ。ただの人間が【勇者】として召喚しょうかんされる(はず)もない。


(やっぱり、僕には秘められた力があったんだ! 人間最強の魔力だなんて! 僕が一番だなんて!)


「貴方様はこの世界で【勇者】として【魔王】の復活を防ぎ、この世界での【魔人】の脅威を取り除いたのちに世界に安寧と平和をもたらす崇高なる使命をお持ちなのです。御理解頂けますな」


 彩人にはこの場合、どのような言葉遣いで女神の使者に了承を伝えたら良いのかが分からなかった。それを悟った老人は彼に答えを与えてくれた。


「一言、了承するとおっしゃれば宜しいのですよ、【勇者】殿。その一言により我が主との契約はなされ、貴方様の秘められた力が解放されますゆえ……」


「了承します! 是非やらせて下さい!」


 彩人は老人の言葉に一切の疑いを持つこと無く、悪魔との契約書にサインをしてしまった。


「それでは、この者が貴方様の眠れる力を呼び覚まします」


 今まで黙っていた少女が彩人に近づくと、その右手により女神の祝福を授けると言う。

 その少女は黒い絹の様なストレートの長い髪を持ち、下を向いて顔は良く見えなかったが、彩人が夢中で応援するどんなアイドルよりも可愛く、美しく彼には思えた。

 彼はひざまずいて彼女のされるがままに身を任せる。少女は右手を少し彩人の頭上にかざすだけで女神との儀式と契約は終った。

 儀式が終わると、彩人の体から力強い金色の【魔力】の奔流ほんりゅうが溢れてくる。その時、彼の興奮は絶頂を迎え、彼は自分に舞い降りた信じられぬ幸運に薄ら笑いさえ浮かべていた。

 空から札束が降ってきたとしても、恐らくこの幸運は彩人には替え難い物だろう。


「儀式は終わりましたな……【勇者】殿には【モール】にて現在、我が主よりの神託を受けた巫女達が【勇者召喚の儀】を執り行っておりますので、そちらに転移して頂きます。御了承下さいませ」


(巫女? 可愛い巫女さんなんだろうな。当然、世界を救う勇者である僕に惚れちゃうよなあ……)


 歴史や小説の中でしか知らないハーレムの主になれるかもしれない事に彩人はすぐに転移して貰いたく思う。天にも昇る気持ちとはまさにこのことを指しているのだろう。


「使命が終わり次第に元の世界への道を繋げさせて頂きますので御安心下さいませ。では、【勇者】殿の御武運をお祈り申し上げます」


 老人のその言葉を最後に彩人の身体は消え、モール王国の神殿の聖堂へと転送された。

 後に残った老人は後ろで控えるほくそ笑んだ少女と違い、その顔には暗い影を宿していた。


「僕が思ったよりも単純で使えそうかもしれないなぁ……アレ……」


 オネットの後ろに控えた【爵一位明星のスルド】は悪巧みが成功してほくそ笑んでいる。彼女の思惑通りとはいかないかもしれないが、あの様子では面白く世界を掻き回してくれるかもしれない。

】を探す【宝探し】が終了した今となっては、彼女は至急新たな娯楽を見つけなければならなかった。


「スルド様、あまりにもあの者が哀れではございませぬか?」


 この主から自分が生み出されたとはどうしても理解できないオネットは主であるスルドに苦言をていする。彼女は彼に対して寛容であり、傀儡かいらいに過ぎぬオネットに自由意思すら授けている。

 理由はその方が面白いからだそうだが……


「なんで? 嘘は一つも言ってないでしょ。君がまあ、僕のことだけど、女神【スフィールド】に仕えるのは本当の事だし、【勇者】の務めは【魔王】復活の阻止と【魔人】をたおすことも間違ってないよ。勝手に判断して了承してくれたんだから、後は自己責任でしょ……」


 スルドは【勇者】である彩人にはさほど期待していない。【】である隆之は彼女が思った以上に面白く成長している。彼の妻であるエリーナを救う為に役立つのであれば、恐らく【勇者】ですら嬉々として殺し、その血を浴びるだろう。

 人間の持つ愛情という感情は時に無上の残忍さを人間に与えてくれる。少しずつ、壊れていく【】の心を眺めるのはスルドの心を爽快そうかいにさせてくれる。


「まあ、俗っぽい言い方だけどさ……一人を狂ったように愛する【】と愛を知らない雌と交尾したいだけの【勇者】とでは、やっぱり、【】の方に軍配が挙がると僕は思うんだよね。【勇者】には精々、モールで良い夢を見て貰ってから【暴虐ベアトリス】の相手を務めて貰おうよ。きっと、面白いよ」


 オネットは【魔王(まおう)美酒(びしゅ)】である隆之の人柄を好ましく思っていた。あのような結果となって残念だとは思うが、同時に彼らしいとも思えた。シンクレアの竜を撃退した時点で彼らの運命はそうなるしかなかったのだから。


「スルド様、あの者が【暴虐ベアトリス】様に勝てるとは私には到底思えぬのですが……」


「もう、オネットは! だから、嘘は言ってないでしょ。僕は君にちゃんと【勇者】に【人間最強の魔力】って言わせてるじゃないか。一言も【上級魔人に勝る魔力】なんて言ってないし、【勇者】も聞きもしなかったんだから別に問題はないの!」


(スルド様はあの者の絶望する姿を見たいのでしょうな。おだてられて、持てはやされて、高みから一気に奈落に突き落とされる姿が……隆之様の時もそうでしたからな……)


 結局の所、人間という生物は我が主【爵一位明星のスルド】の永遠とも言える時間を潰す玩具おもちゃに過ぎないことはオネットにも良く分かっていた。


(永遠の時を生きる【明星のスルド】。いっそのこと魔王と覚醒すれば、時の牢獄からも解き放たれるものを……)


 オネットの思いは主に対して僭越せんえつの過ぎる不敬なものだった。

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