トマールの戦い 変わりゆく自分
隆之がシンクレアからこの度の戦で支給されたものは身を護る為の黒い鎧だけだった。
武器の類は一切支給されず、魔人の奴隷軍はカーネル軍長を除いて全員が徒手空拳で戦場に立つ。隆之からして見れば、正気の沙汰とは思えなかった。
魔人軍に命令系統は無い。軍令の内容も単純明快であり、
「一つ、功なきは死罪。二つ、約定を破りしは死罪。三つ、下位なる者の不敬は死罪。四つ、獲物の識別を破りし者はその功を半減とす。五つ、獲物への助命を望みし場合は主の許諾を以て、それを可能とす」
以上の五項目からなっているだけだ。項目に違反しない限り、奴隷兵達は好き勝手をしても構わない。
組織的な集団戦闘の方法をシンクレアも知らぬ訳ではなかったが、興味も無く、知識として持ち合わせているだけだ。
兵法とは自軍の損害を少なくし、敵を如何に効率良く殺す為に編み出された物に過ぎない。
戦で本当に彼女が効率を重視したいと望むのであるならば、初めから敵兵を問答無用で吹き飛ばせば良い。
態々人間を狩り集めて配下にすることは彼女の奇行と言われているが、魔獣で構成する魔軍よりも実は強力である。
彼女が保護魔法を掛ければ、彼らは疑似的な魔人の集団と言って良い程の戦力を有する。シンクレアの下準備が終わった今となってはカーネルが命令を下す必要もない。
二千の獅子の群に鼠が如何に団結しようとも敵う道理がなく、鼠の歯が獅子の肌に届くこともない。鼠は唯、喰われて死ぬだけだ。
アイン将軍は魔人軍が有効射程に入る同時に弓隊に攻撃命令を下した。弓隊は命じられるまま、五月雨式に隙間の無い矢の雨を魔人軍に降らせてくる。間合いも完璧で文句の付けようが無い。
隆之は放物線を描く、矢の余りの数に思わず立ち止まり、愕然とした。
(まずい……)
自身に魔力を覆う為に意識をそちらに向ける。
だが、間に合わない。彼が全身に矢を受けた自らの惨めな姿を想像した際、脳裏で何かが広がる感覚を味わった。
理解しかねる感情が一瞬にして彼の精神と身体を支配し、全身が青白い光に包まれて力が漲ってくる。微かに残った理性か彼に呼びかけたが、効果はなかった。
既に彼には人を殺すことに禁忌は無い。戦場においてはそんな甘えが直ぐに命取りになってしまう。
あるのは目の前の獲物を殺すことだけだ。
手始めに赤く光る男の一人の顔に右手を添える。ほんの少し力を入れただけで、柘榴の実のようになった。良く熟れた果実を握り潰した独特感触と掌にぬかるんだ物が残り、あまり気持ちの良いものではなかった。しかし、首から上の無くなった肉から溢れる鮮やかなルビー色の液体が隆之をより強く陶酔させてくれる。
人の血を浴びることで得られる陶酔感は彼の思考を鈍らせていく。
より残忍に、より冷酷に……
「寄るなぁ! 化け物!」
頭の無い肉に乗り掛けられる格好となった男が泣いている。無様に泣き叫ぶ実に醜い顔だと隆之は思った。
(心臓を取り出してやれば……大人しくしてくれるだろうか……)
隆之は死体を男からどけると、喚く男の左胸にゆっくりと己が右手を捻じ込んでいった。
肋骨の抵抗が指に心地良い。隆之の右手の中で未だに鼓動を止めぬ其れは愛しさすら感じさせる。
彼は頭上で其れを握り潰し、己に降りかかる血潮を存分に堪能した。
髪には茶褐色の血がこびり付き、怪我は無いが、全身を染め上げた彼は異様な臭気を放っていた。
(駄目だ……これでは満たされない。赤では駄目だ……意味が無い……時間も無い……)
獲物の数が此方の三倍でしかないことを考えるならば、一人当り三人までしか殺せない計算となる。
周囲を見渡せば、赤の数は壊滅したと言って良い。緑も残り少なく、中央の黄色を護るように円陣を組んでいるが、殲滅までそう時間は掛からないだろう。緑を殺し尽くした後で、ゆっくりと黄色を殺せば良い。
彼は好物を最後まで残して食べる者の気持ちを少しだけ理解した。
(成程……旨い物を最後まで取って置くのも悪くない……)
次なる獲物を求めて、隆之は骸によって足場の悪くなった戦場を駆け抜けた。




