37 戦友
異常に暑い夏に、東北も喘いでいるこの頃ですが皆さんも熱中症には気を付けて下さいね。物語もいよいよクライマックスです。
8月20日、PM6:17
此処は一体何処だろう。目が覚めた俺が先ず気が付いたのは、仰向けに倒れていて空を見上げているという事だった。綺麗な夕日が沈むのだろうか、何故か狭く見える空は真っ赤に煌めいていた。狭いのもその筈、視界を左右に見遣ると周りは木々に囲まれていた。対馬の大半は森で、俺もそこに落ちたのだろう。
ゆっくりと上体を起こそうと力を入れると、不意に頭痛が襲う。被弾した時に負傷した頭からは、出血は既に止まっていたが、流れ出た血の量はかなりのもので、頭痛も宛ら軽い貧血となっているらしく、酷い眩暈に苛まれて再び仰向けに上体を投げ出した。
そこで再び空を見ながら、頭の中を順に整理していく。墜とされた場所から推測するに、今俺が居るのは対馬本島。即ち現時点での敵地だ。戦況の噂等で現在の陸軍は南島に軍備を固めたものの、険しい地形の為に両者迂闊に手を出すに出せず、悶着状態と化していると聞いた。友軍に遭遇する事は先ず無いと考えた方が良いだろう。そうなると後に残されている道は多くない。
決死を覚悟で海岸から南島へ遠泳をするか。味方が俺に気付き、救出の手筈を整えてくれるのを潜伏して待つか。敵の陣地へと投降するか。先ず遠泳は敵に見つかるだけでなく、下手をすれば味方にも敵と間違われる可能性が在るかも知れない。そうなれば命は無い。その点潜伏というのは確かに安全だが、救助が来る前にきっと俺が持たないだろう。怪我は勿論だが、最低限の水食料しか機内には積んでいない。若し食糧が尽きたら、敵の陣地に忍び込むか自給自足だ。こんな善く知りもしない土地で、自給自足をしながら一人生きていくのは難しいだろう。それだからと云って、敵に投降は考えられない。今迄散々地上掃射で敵を殺してきたんだ。そいつらが、俺を丁重に人間の捕虜として扱ってくれるか等、考える迄も無い。
暫く今後を考えた処で、俺は先程の戦闘を思い出した。隼人を見たのは敵機に体当たりをしたのが最期だ。恐らく、否確実に生きてはいないだろう。その後の事は憶えていないが、敵機はそのまま撤退した様だ。俺達が今日爆撃した飛行場に、堂々と凱旋気分で着陸したに違いない。滑走路へと被害は少なかったので、着陸に支障は無かっただろう。そう考えると今回の作戦は戦略的にも戦術的にも大敗北を期した。あれだけの余りに多過ぎる犠牲を払って、これからも奴らは出撃出来る。飛行場の施設や高角砲にばかり気を取られ、本来の目標である飛行場の使用不能は達成出来なかった。
俺は突然憤って、そのやり場を地面へと、大きく拳を振り下ろす。草に覆われた土は固く、後には鳥の虚しく啼く声が森を木霊した。それから頬を熱い液体が伝った。俺は思わず他にも出血している処が在ると思い、手袋で頬を拭う。しかし手袋には血の一滴も付いていないのを見て、自分が泣いているのだと云う事に気が付いた。その理由は余りにも明白で、しかし余りにも取り返しが付かない事だった。
「隼人…。」
三笠隼人。彼奴と初めて出会ったのは、予科練で同じ班になったという事からだ。訓練生として彼奴は実技が極めて優秀な男だった。最初俺は彼奴の事を、騒がしく座学もまともに聞いていない駄目人間だと思っていた。しかし訓練生として最初の実機訓練の時、彼奴の操縦技術に驚愕した。まるでそれは迅速に飛び交う燕の様な、鋭く華麗な飛行であった。驚くのも傍ら俺は奴に興味を抱き、同時に強い対抗心が芽生えた。負けてなるものか。そう思いながら、日々の訓練を続けた。
そしてその好機は以外にも早く、俺の元に訪れた。その日の訓練は、教官無しの単座練習機に乗っての編隊飛行の訓練だった。同じ班だった俺と奴は、何時も通りの操縦を熟して着陸命令が出された。するとそこへ、隼人が横に付ける様に飛んできて、
『模擬戦をやらないか。』
そう手信号を送ってきた。勿論俺は命令違反だから、馬鹿な考えを起こすな。そう云ったものの、頭の中では此奴と一戦交えて、俺が勝っていると思いたかった。若気の愚かな自尊心だった。俺は数秒の後、
「受けて立つ。」
と手信号を送り、それと同時に操縦桿を大きく倒した。雲一つ無い善く晴れた日の事だった。
結局その後、勝手な命令違反をしたとして、上官に酷く叱られ殴られもした。練習機とは言え陛下から賜った飛行機にもしもが在ったらどうする、と保守的な上官は俺達の命よりも、飛行機の心配ばかりをしていたが。反省の色を濃く出したものの、俺は隼人と目を合わせて無邪気な子供の様に笑い合った。それから俺達は、互いに「戦友」となった。それは意識するでも無く、心の奥底からごく自然に湧いて出た感情だ。だから、お互いに同じ基地で、同じ部隊に配属となった時、嬉しさの余り抱き合って大声で叫んだのを憶えている。そして配属されたその部隊で、藤本隊長に、翔太に出会った。翔太は寡黙な男で隼人とは正反対の人間で、それが原因でよく衝突を招いた。三人で見っとも無く、殴り合いの喧嘩もした。流石隼人は力が強かったが、翔太は相手の出方を見る頭脳が有った。
此処でも、やはり藤本隊長に手厳しく叱られたが、翔太がそこで微かに笑んでいたのを見て、俺も隼人も互いに顔を見合わせて笑った。今度は翔太も加わって3人で「戦友」となった。同期でしかも同い年、俺達は部隊は勿論、私的時間でも行動を共にしていた。最初は衝突をしていたが、そんな様子を見て藤本隊長は何時も叱る傍ら、まるで自分の子供を見守る様な、何処か温かい目をしていた。
そうだ、温かった。こんな時間が何時までも続く事を切に願っていた。しかし俺達軍人は、明日の命も知らざる存在で、誰が何時居なくなるかなど予想も出来ない立場にある。俺も含め、皆それは自覚していた筈だが、まさかこんな時分になるとは、全く思っても見なかっただろう。
翔太は無事だろうが、彼からすると一度の戦闘で戦友二人を失い、一人になってしまったと云う事になる。今頃如何なる心で居るのだろうか。同期で同じ部隊の戦友を、全て失ってしまった人間の心情など、考えた事も無い。もしこの声が届くなら、大きな声で叫びたい。壱岐迄届く程に、大きく力強く。「俺は未だ生きている。此処にいる。」と。
そうしてゆっくりと上体を起こした。もう身体の痛みなど、気にならない。俺を待っている人達の為にも、俺は生き抜いて見せる。生きて再び友の前に姿を現して見せよう。死んでしまった俺の戦友と部下の死に様と、同時に生き様を語り継ごう。飛行帽を脱ぎ、首に巻かれたマフラーを解いて頭の傷を抑えて縛る。きつめに締めた際に忘れていた痛みが襲ったが、耐えて慎重に立ち上がる。ふとマフラーの下に掛けてあった千恵美のお守りが、ぽろりと地面に落ちた。それを手袋を脱いだ手で、さっと拾い上げる。
白い掛け紐は俺の血で所々赤く染まっていたが、肝心のお守りはこれと云って目立った傷も汚れも無く、相変わらず可愛い文字の刺繍が今の俺の心と対照的に在る様に感じた。必ず又逢える、俺は戻ってくる。そう約した事は変わらず、今でも彼女はあの場所で海を見ながら俺を待っているのだろう。
辺りを見回してみると、生い茂る木々に埋もれた、無残な姿の我が愛機が厳かに眠っていた。こいつと共に戦場を翔けたのも、大分長い歳月になると思われたが、その間から正に今迄命を落とす事無く居れたのも、こいつが居たからだ。今はもう動かざる鉄の塊と化した俺の相棒は、尾部は吹き飛び、右翼は折れ曲がり、機首は潰れてプロペラは振り乱した髪の様に曲折している。
その暗がりに佇む愛機は、一つの芸術作品の様に荘厳で、凡そ殺人兵器とは思えない悲壮さが滲んでいた。俺が絵描きであったら、迷わず此処で写生に没頭してしまうだろう。兵器であった俺の愛機は、今や森の芸術の一部として埋もれて、二度とその本意を果たす事は出来ないだろう。しかし、それが何故だか異様に似合っていて、俺の心に平安をもたらした。
言いようの無い感情の為すが儘に、その場で深々と頭を垂れた。
次回は未定、分かり次第追記します。
今年は受験と云う事も在り、中々時間の取れない時期ではあります。しかし今年中に本作を完結させられればと目標を持っていますので、それを目指して頑張りたいと思います。
追記:次回投稿日は9月10日と定めさせていただきます。これからはなるべく不定期にならない様に心掛ける所存ですが、受験という事を考えれば、暇が無いのも事実です……。




