第九十七話 亡霊
その夜、亥の刻(午後十時)を回った頃――。
円嶽寺の木戸が激しく叩かれ、寺男の一人が慌てて対応に出ていった。
「こんな時刻に、どなたじゃな」
すると、か細い声が、
「龍円にございます。ここを開けてくだされや」
と言う。
「りゅ、龍円さん? わかりました、すぐに」
昼間、高香が戻ってきたこともあり、続けて行方知れずの者が戻るとは不思議な日よ、とも思いながら、結局は疑わずに木戸を開けた。
――と。
「ひっ、ひっ、ひっ、ひっ……」
寺男は腰を抜かし、その場で尻もちをついた。
そこに立っていたのは、確かに龍円。――であったろうと思われる。
今やその顔はどす黒く倍以上に膨張し、目鼻は崩れ、頬にはうじが湧いている。衣服はボロ布と成り果て、二の腕はすでに白骨であった。
完全に死人である龍円は、しかし、カクカクと奇妙に揺れながら立っているのである。
「ひゃぁぁぁーーっ!!」
ついに寺男は口から泡を吹き、気絶した。
その横を、わらわらと悪霊どもが通り過ぎ中へと入ってゆく。
龍円の体からもヤモリのような妖魔が這い出しそれに続くと、亡霊は立つことかなわずどおと地に崩れ落ちた。
その背後に現れたのは、丞蝉である。
丞蝉は、龍円の腐った体を踏み越えて、まさに不敵に笑みつつ境内へ足を踏み入れていった。
辺りはいつもと変らぬ闇であったが、何となく天礼は寝付けなかった。
今日、念願かなって丞蝉が破門されたというのに、たいして晴れ晴れしい気分にもなれない己が忌々しく感じられてならぬ。
――私はやつを恐れているのか?
違う、と心の中で否定してみるものの、不安は去らなかった。
さらに先ほどからの、この異様な冷気は何であろう。
ぶるっと震え、それでも天礼は無理に目を瞑り、よいことばかりを考えようとした。
そう、丞蝉は去り高香が戻ってきた。
高香こそ「陰陽併せ持つ者」に違いないのだ。
そして明日からは、誰にも邪魔されずにその秘密を探ることが出来る……。
その時あり得ぬものの気配を感じ、はっと目を開けると部屋を見た。
すると。
何と、そこには、赤い光に包まれた丞蝉の姿があるではないか。
「じょ、丞蝉……!」
天礼が飛び起きるのと同時だった。
長い爪を持った枯れ枝のような手が伸びてきて、一瞬にして天礼の両目を突いた。
悲鳴を上げ天礼は、顔を覆うと横倒しに夜具の上に倒れ、のたうった。
脳を掴みえぐられるような痛みと、さらなる恐怖に胸は裂けそうである。
いひひひ……という魔物の笑い声と、風の唸るような音が混じり、その中から丞蝉の低い声が耳に突き刺すように聞こえてきた。