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第八十八話 鬼、見参

 龍円不在を知っていたもう一人とは――すなわち、丞蝉であった。

 さらに丞蝉は、龍円がすでにこの世にはないことも知っている。

 

 白菊丸の遺体を見つけた翌日、丞蝉は龍円の襟首を掴み、清滝の下まで連れ出した。

 清滝の下は、見事な紅葉の絨毯(じゅうたん)である。

 その流れの側に、丞蝉は龍円を投げ出した。

「お前、天恵の前で知らぬとほざいたな。知らぬはずはあるまい、話せ!」

「知らない、知りません!」

 そう言い張る龍円を思い切り足蹴にして、再び胸倉を掴み上げる。

 丞蝉の力は人のものとも思えぬほど強く、龍円はほとんど振り回され泣き声を上げるのが精一杯であった。


 ――だがどんなに泣き喚こうが、自分は捕らえられた鼠だ。

 顔中蹴られ、ぬるぬると濡れている感触が恐ろしい。

 地面に倒れている自分の周りが真っ赤に染まり、「これは紅葉のせいなのか?」と、龍円はぼんやりと思った。

 やがて耳に聞こえていたごうごうという音が、滝の音なのか自分の頭の中で鳴っている音なのかわからなくなった時、いきなりそれは、ぶくぶくという音に変わった。

 畢竟(ひっきょう)、水の中で自分が吐く息の音であった。

 丞蝉が襟首をつかんで頭を水の中に浸けたのだ。

 実際の景色と水の中の灰色の映像が、何度も何度も激しく入れ替わり交錯する。

「殺したのは、祥元――」

 あまりの苦しさに、ついに問われるまますべてを白状した。


 相変わらず滝は勢いよく流れ落ち、自然は悠然とその場にあった。

 およそ奇妙にそぐわないのは、体をくねらせ悶々と咳き込む龍円の姿である。 


 その時。


 ぶおぅ。


 一陣の風が吹き上げたかと思うと、雷に撃たれたかの如く衝き立った丞蝉の双眸がめらめらと色を変え、ぎらめきだした。

 血走った白眼を剥き、全身を(おこり)のように震えさせたかと思うと、突如、丞蝉は獣のような雄叫びを上げた。

 まるで地底中の悪鬼が、かれの体を突き抜け噴き出たかと思われるほど、凄まじい叫びであった。 

 同時に体の周りからは赤黒い気がはじけ、口からは煙のようなものが吐き出される。

 その煙に、紅葉がいっせいに舞い上がった。


 地を這いずりながら、龍円は見上げた。

 頭上では天が怪しく掻き曇り、黒雲が渦を巻いて集まり始めている。

 その隙間を、稲光が走る。

 もはや目の前に立っているのは丞蝉ではない。


 ――鬼……。


 ぎっ、と龍円を睨み据えたその赤く憤怒に燃える眼差しがため、かれの心の臓は停止した。

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