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第七十五話 高香の出立

「何、高香。今何と申したのじゃ」

 高香は伏せ目がちに頭を下げ、戸惑っている智立老師にもう一度同じことを繰り返した。

「はい、しばらく寺を出たいと存じます。托鉢の修行に行って参ります」

「し……しかし……その体では」

「いえ、たとえ病でなくとも人はいつ、どうなるか知れぬもの。お気遣いいただく必要はございません」

 いつものように、智立としては弟子の修行心を否定するわけにはいかなかった。

「そうか。……して、いつ発つ?」

 高香は、ふいに澄んだ瞳を上げた。

「明日、発ちます」

 智立がため息をついた。


 ――もしかしたら、自分はここから逃げ出すのかも知れぬ。

 高香は正直にそう感じていた。

 もうしばらくの間、かれは居心地の悪さに耐えてきた。

 だが最近、疲れがひどい。

 天礼のことあるごとに自分に接触してくるあの執拗さ、それにも増して、丞蝉の背負ったものの不気味さに、もうこれ以上神経が保てそうになかった。

 ――師は気づかないのだろうか。


 あの一つ目の巨人を見てから、高香はまともに丞蝉が見られない。

 あれほどの悪霊でないにしても、今もまだ、丞蝉の周りに得体の知れない魑魅魍魎がうろついているのを高香は感じていた。


 ――白菊丸殿も

 ふと、高香は思う。

 ――あの悪霊のせいであのようになってしまわれたのではないだろうか?


 そう、曖昧(あいまい)になってしまった白菊丸を見ているのも辛い。


 白菊丸は、当初こそ泣いたり喚いたり高笑ったり、激しく感情を(ほとばし)らせていたが、最近では少し落ち着いたようであった。

 智立や高香が優しく経を読むのを黙って聞いていたり、高香が体を拭く間大人しくしているようになった。

 そして不思議なことだが、丞蝉には甘えるのだ。

 誰にも何にも無表情であるのに、丞蝉にだけは時々笑みを見せる。自ら腕を伸ばして抱かれることもある。

 丞蝉が白菊丸を腕に抱き上げ庭を散策している姿は好ましかったし、またそういう時は丞蝉の背にも黒い影は見えない。


 高香が避けたいのは、むしろ天礼かも知れなかった。

 智立が外出している時などは特に油断ならない。廊下の曲がり角などに潜んでいて、いきなり薄暗い部屋に連れ込もうとすることは何度かあった。

 幸いなことに、十三歳の高香はもうかなり背が高くなっていて、いくらか力もついていたから何とか阻んでこられたのである。


「師よ。申し訳ありませんが、誰にも知られずに出立したいのです。わがままをお許しくださいませ」 

 翌早暁、小雨の中、旅装束に身を包んだ高香はひとり旅立った。


 緑の葉が雨露を弾き、地面は黒々と水滴を吸い取ってゆく。

 錫杖の鈴の音は控え目に、小さな網代笠はどんどん山を下り、やがて見えなくなった。


 その日、長雨の季節が終わった。

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