第七十三話 狂乱
朝の訪れとともに、白菊丸の意識は戻ってきた。
「白菊丸殿!」
喜びにその顔を覗き込んだ高香は、だがその瞳に感情がないのを見てぎょっとした。
――おかしい。
直感であった。
すぐに智立と丞蝉を呼ぶと、高香は部屋の出入り口に座って見守った。
「白菊丸殿、いかがいたした?」
智立の呼ぶ声に反応もしない。もちろん丞蝉も懸命に呼んだが、やはり無駄であった。
丞蝉は顔を暗くし、歪めた。
おそらく悪鬼に頭を喰われる平八を見たのだろう。衝撃で正気を失ったか……。
「白菊丸……」
丞蝉は、白菊丸の身を起こすと抱き締めた。そして、智立に向かい、
「おそらく、平助が目の前で斬られ、後藤田平八が火にのまれるのをまじかで見たせいで正気を失ってしまったのでしょう。時間が経てば、そのうち……」
その言葉も終わらぬうちに、白菊丸は怯えたように丞蝉を突き放すと、奇声を上げ暴れ出した。
夜具を出て逃げようとする白菊丸の腰を捕らえ、丞蝉が乱暴に引き戻す。
押さえつけ、なおも名を呼び続けると、今度は唐突に笑い始めたではないか。
まさに狂人のそれである。
高香は恐ろしさに思わず両耳をふさいだ。
「白菊丸が乱心したと?」
寺男からそれを聞き、天礼はいぶかった。
「何があったというのだ」
だが誰もそれを知らない。
天礼は焦れた。
仕方なく丞蝉の部屋へ赴き、仔細を尋ねた。
「夕べ廃寺が炎上したのだ」
無愛想にそれだけ言う丞蝉に、天礼はさらに聞いた。
「お前は例の書をものにしたのか? 力を得て、白菊丸を守るはずであったろう?」
ふふっと鼻で笑い、丞蝉が挑戦的な目を兄弟子に向けた。
「天礼兄よ、俺は確かにあの力で白菊丸の望みを叶えてやったのだぞ。あの細田の侍たちに出来なかったことを、俺はやり遂げたのだ」
「――何?」
さすがに言っている意味がわからなかった。
この男は、何をやり遂げたと言うのだ?
「稀なる悪鬼を末成義詮のもとへ送ってやったわ。やつは法臨坊によって封じ込められていたのだ。それを俺が解放し、代わりに石ノ松城へ行ってもらった」
天礼は体中が粟立つのを感じ、ぞくりと身を震わせた。
――この男、ついに……。
「人の頭を喰らうのが大好きなやつでな。義詮ややつの家臣たちの頭も、もはや胴体にはついておらぬだろう。一夜明ければ、石ノ松は血の海……これで白菊丸の悲願は成就というわけだ」
そうしてぽつりと繋ぐ。
「その喜びも無駄になったかも知れぬが」