第七十話 払暁の悪夢
『末成義詮という男の命もこれまで』
そう丞蝉は言った。
――どういうことだろうか。
白菊丸には解せない。
彼の念者は、「俺が仇を討ってやる」と言ったのだ。
―― 一体どうやって?
だが三日後の払暁、ことは動き始めた。
まだ暗いうちに丞蝉は白菊丸を起こし、
「今から円嶽寺へ行ってくる。白菊、お前はここにいろ」
と言い、軽やかに走り去った。
そうして約一刻後、暗闇で身を潜めるようにして待っていた白菊丸のもとへ聞きなれた声が届いた。
「若! 若君!」
「平助?!」
庵を飛び出した白菊丸の目に、寝巻き姿の平助の姿が映った。手には小さな提灯を持っている。
円嶽寺から必死で駆けてきたであろう様子が、その形相から知れた。
だが白菊丸は混乱し、寺で何事が起こったのかまで推し量る余裕がない。
平助の言葉を待った。
「円嶽寺に末成勢が攻め入りましてございます! 早くお逃げなされませ!」
あっと驚く間もなく、平助の後ろの茂みから黒い人影が飛び出してきて野太い声を上げた。
「若君、御免!」
空に懸かる月はぼんやりと辺りを照らすのみで、男の顔を判別するには十分な明るさではない。
その時白刃の受けた月光が、きらりと相手の顔にさしたのを白菊丸は見た。
相手の相貌の変りようにすぐには誰かわからなかったが、その声音、身のこなしは明らかに失踪した後藤田平八である。
平八は白刃を振り上げ、白菊丸に掛かってきた。
「若!」
だが最初の平八の剣は、白菊丸の前に飛び出した平助を斬り下げた。
平助が血煙を上げて倒れるのを見、悲鳴を上げながら白菊丸は中へと転ぶ。
ちっと舌打ちし、なおも平八は血を飛び散らせつつ刀を振り上げると、ぎっと白菊丸を見据えた。
「若君、お命頂戴つかまつる!」
「やめ――!」
白菊丸が袖で顔を覆ったその時、部屋の隅で獣が蠢くような、いやそれよりも百倍おぞましい声がした。
「?!」
すると、はっと振り返った白菊丸の頭上を超えて、瞬時に黒い影が平八に向かって飛びついたではないか。
同時に平八の恐ろしい断末魔の声が、冷え切った闇を震わせた。
――目の前には、大岩のような黒い影がひとつ。
白菊丸は両目を見開いた。
そして後藤田平八がまるで操り人形か何かのように奇妙に手足をばたつかせている異様な光景を見た。
やがてそのひきつれた四肢の動きがはたとやみ、だらりと垂れ下がったころ……。
ついと岩が振り返った。
それは一つ目の角の生えた巨人で、平八の頭を丸ごとくわえ、ごりごりと音をさせて噛み砕いていたのである。
白菊丸は白目を剥くと、そのまま意識を失って倒れた。