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第六十六話 山桜繚乱

 鶯が鳴いている。

 庵の一室でも、最前から白菊丸が天礼のために鳴かされていた。

 泣き声を押し殺したような、しかし露を震わす甘さを含んだ声。


 この日丞蝉は智立に呼ばれ、円嶽寺に戻っていた。

 その留守を見計らって、天礼は訪ねてきたのである。

 平助も承知であり、彼は廃寺までの小道の途中で丞蝉が帰って来ないか見張りをしているのである。

 最初は、天礼から「以前から自分と関係があったことを丞蝉に言いつけてやる」と脅され、泣く泣く身を任せた白菊丸であったが、今やあの折の甘美さが舞い戻り、すっかり我を忘れていた。

 さらに言えば、毎夜の丞蝉とのまぐわいはただ恐怖を紛らわすため、闇の中で無心に行われていたに過ぎぬ。それが今は、薄い春の日差しのもと、鶯の声を耳に止めながら十二分に愛撫を受けているのである。

 ――そなたをずっと忘れた夜などない。ずっとこの日を夢見てきたのだ。ああ、どんなにか、そなたと一つになりたかったことか。

 白い耳朶(じだ)に囁かれるそんな言葉にも、酔わないはずはなかった。


 ことが終わると天礼は素早く衣類を身につけて、それでも白菊丸の体を引き寄せると名残惜しそうに頬擦りをし、「そなたを放したくない」と繰り返した。

「天礼殿、お願いです。もう来てくださるな」

 戸惑う白菊丸はそう返すしかない。

 しかしこの男は昂然と言う。

「いや、明日も参りましょう。この身には火がついてしまった、もうそなたなしではおられぬ。それ、この間通った大岩の側に、一本見事な山桜の木がございましたな。明日はその下でお待ちしておりますぞ」

 そして図々しくも口まで合わせ、力の抜けてしまったかのような白菊丸にもう一度念を押した。

「無理をせずともよろしいのです。また来て欲しいと、ちゃんと顔に書いてある。――白菊殿、次回は桜の下で」


 恐ろしい、と思いはしながら、白菊丸は次の日から山桜の下で天礼と交わるようになった。

 やはり平助が見張り役に立っていて、丞蝉を含め辺りには十分気を配っている。

 もっとも、こんな人家もない山の中を訪れる者などありはしなかった。平助にとっても楽な仕事である。

 大岩の側の山桜は見事な八重の枝垂桜(しだれざくら)で、今が満開だった。

 時折ふわりと吹く山風に、ひらひらと薄紅色の花びらが舞い踊る風情は得も言われぬ。

 どうしてこんな人目もつかない場所で咲き誇っているのか、それで満足なのかと、もしこの桜が人であったなら聞いてみたいほど格別の美しさは、このままでは惜しいようであった。


「桜が……」

 白菊丸の白い脚に山桜の花びらが張り付いているのを見、天礼は唇を寄せた。

 あっ、と言って身をのけぞらせ着物を固く掴む白菊丸の手にも、またはらはらと桜が散る。

 春らんまん。

 二人の姿態は、絵師ならばおそらく喉を鳴らしそうな、まさに春の図そのものであったろう。

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