第六十三話 裏切り者
年が明けた。
末成義詮が、新守護代・長井新九郎正利(後の斎藤道三)にくだったという知らせがあり、後藤田平八ら三人は大いに失望を強めた。
長井新九郎正利という者は、元の名を西村勘九郎といったが、昨年長井長弘を夫人ともども殺害し、長井家を乗っ取ったのである。そして自ら長井を名乗った。
相当悪極まりないやり方であったと噂されるが、それでも守護代の地位と稲葉山城を手に入れたこの男の勢いに、末成も恐れをなしたのであろう。さっさと家来に成り下がってしまった。
だがそれは、末成の後ろには長井新九郎正利がつくということを意味する。
「無念……! 時期を逸したか」
平八も勝之進も歯噛みしたが、木下小五郎だけは違っていた。無言のまま、だが何かを決意したかのように目だけを大きく見開いていた。
音のない夜である。
雪明りが青白く円嶽寺の庭を造形している。
そこへ無骨な二人の侍が、押し問答しながら走り込んできた。
一人は後藤田平八、一方は木下小五郎である。
「よせっ、小五郎。考え直せ」
「お主こそ頭を働かせろ、もう細田は終わりだ。悪いが俺は行く」
なおも、やめろと小五郎の胸倉を掴んで引き寄せた平八の衿を逆に掴むと、小五郎は眸をぎらつかせ、より押し殺した声音で言った。
「若のあの様子を見ろ。あんな体たらくで細田家再興が成るか。あれはただの子供だ。今こそ恩賞を得る機会なのだ。白菊丸の居場所を知らせれば、我々は間違いなく末成に恩を売ることが出来る」
「……! うぬはっ!」
刀の柄に手を掛けた平八を見て、機敏に身を離した小五郎だったが、それでも彼は鯉口を切らずにたりと笑った。
「お主に俺は斬れぬ。なぜなら後藤田殿、貴殿とて同じことを考えていたのであろう? あの白菊丸に御家再興は無理じゃと」
そのとたん、平八の両肩が落ち、はあはあと息が荒くなった。
額には汗すら滲んでいる。
下を向いたまま棒立ちになった平八に、一言「御免」と残し、木下小五郎は素早く去っていった。
やがて寺の門が軋む音がし、また静かになると、平八はかっと顔を上げ抜刀しざま自分の脇腹に斬りつけた。
そうして血の滴る刀を振り回しながら、勝之進の部屋へと走った。
翌朝、勝之進に一刀のもとに斬り殺された木下小五郎の遺骸を前に、白菊丸は顔面を蒼白にし身を震わせながら丞蝉の胸に顔を伏せていた。
「嫌だ……もう嫌だ。私の不幸はいつも新しい年の始まりと共にやってくる……。もう何もかもが、嫌だ」
側には山根勝之進が跪いていて、昨夜木下小五郎が、後藤田平八の剣をもぎ取って逆に斬りつけた後、若君を売るべく末成側へ駆け込もうとしたので成敗したと申し開きをした。
「して、後藤田殿はいかに」
平助が心配して尋ねる。
勝之進は意識して重々しく、
「脇腹の傷が思ったより深く、ただいま介抱を受けておられる」
と言った。
そうして、ちらっと丞蝉に寄りかかる白菊丸の様子を見、また遺体に目を移す。
――武士とは。武士の生きざまとは、一体何であろうか。
そんなことがふと、頭をよぎった。