第四十五話 天の虹
「昨夜はひどい嵐じゃったのう」
「まったく、あんな恐ろしい思いをしたのは久しぶりじゃ」
「寺に雷様が落ちんでよかった、よかった」
三人の寺男たちは、嵐の後の乱れた庭を手際よく片付けながらそんな話をし合っていた。
雷は、幸いこの山には落ちず、だが眼下にある山――そこは笹無村の領域だった――に落雷したようだった。
冴え渡った陽光の中で、黒々と燃え尽きた木々がいまだ黒煙をくすぶらせているのが明らかだ。
その光景にほっと目をやりながら、高香は昨夜見た不思議な夢を思い返していた。
それは雷鳴が去り、やっとまどろむことが出来た明け方に見た夢である。
天からさっと神々しい虹が降りると、白い装束の乙女がその橋を滑るように降りてきたのだ。
腕には生まれたばかりの乳飲み子を抱いている。
そうして乙女は、あまりにも澄みきっているために、まるで白い光を放っているかの如く瞳を真っ直ぐに向け、腕の中の赤子を高香に差し出した……。
夢はそこで覚めたのだが、赤子が火のついたように泣いていたのがひどく印象的だった。
これはどういう夢だろう。
なぜこんな夢を見たのだろうか。
そう、夢というにはあまりに記憶が鮮明であった。
ばかりか、雨露が辺りの草木の上でまぶしく光る様、澄み切った大気のすがすがしさは、昨夜嵐と共に何か大きな力を持つ神が大地に降臨したとしても不思議ではないようにさえ思える。
夢は、それを暗示していたのだろうか。
再び真っ青な空を仰ぎ見ると、高香はふうっと息を吐き出した。
そしてふと、去年の秋に丞蝉が山犬から助けた女のことを思い出した。
もちろん、夢に見た乙女が彼女であったという確信はないし、あの女性が自分に関わりがあると直覚したわけではない。
ただ、あの人も、無事に子を生んだだろうか、そういう思いであった。
『女性とは不思議だ』
一連の想念は、ついに高香を己の内面へと向かわせた。
『私も。私も間違いなく、母親の腹から生まれてきたのに。……私は、母に似ているのだろうか? 』
高香は今初めて、見知らぬ母の面影をなぞってみたくなった。
鼻を、頬を、唇を、指でそっと辿るうち、幼い指先は清い涙で濡れ始めていた。