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第四十四話 嵐到来(三)

 その夜の白菊丸の悲鳴は、誰にも聞かれなかった。

 最後の落雷と共に嵐が去った頃にはもう声も出せないほど喉が痛み、体はすっかり疲れ果てていたが、それでも丞蝉が抱き寄せると大人しく頭をその胸に寄せた。

「辛かったか?」

 辛いに決まっている。

 だが白菊丸は頷かず、目に涙を溜めたまま丞蝉にしがみついた。


 翌朝、陽が昇ると、昨日の嵐は嘘のように過ぎ去り、澄んだ冬の空気の中にすべてが生き生きと色づいている光景が広がっていた。

 白菊丸と丞蝉は、智立法師の前に手をついて、

「これからは丞蝉殿を私の念者とし、一切を託してゆこうと思います。どうぞ、お認めくださいますよう」

 と、挨拶をする。


 念者というのは、僧侶と稚児、武士と小姓といった男色相手の年長者のことであるが、念者と定めたからにはその者一念に志操(しそう)を捧げなければならないという精神的かつ理論的な掟のようなものが存在した。すなわち浮気はご法度、今後白菊丸は丞蝉付きの稚児ということになり、他の僧侶たちには肌を許さないで済むのである。結局これは、二人が考えた最善策であった。


 智立は突然の出来事に目を丸くし二人を交互に眺めたが、やがてゆっくりと言った。

「白菊丸殿がそのおつもりなら、それでよろしいじゃろう。……丞蝉。白菊丸殿のこと、頼んだぞ。今以上に精進することぞ」

「ははっ!」

 今より丞蝉は全力で白菊丸を庇護しなければならないが、それは丞蝉自身が強く望むところである。

 初めて白菊丸を見た日から、ずっとこの時を待っていたのだ。

 まさに天にも昇る心地であった。


 二人が去った後に、智立は天礼に親が子を心配するかの口ぶりで言った。

「これをきっかけに、あやつも変るかも知れぬ。腹から妙な野心は消えて、ひたすら白菊丸殿のために仏の道を精進するやも知れぬ」

「師よ」

 天礼の声は、だがなぜか物憂げに雨上がりの大気に伝わった。

 それはこの物静かな若僧には珍しく、怒気さえ含んでいたかも知れぬ。

「丞蝉に、まこと仏心を求道してほしいとお思いなのですか? あれにそれが(かな)うと思われるのですか? あやつはもともと罪を得てこの寺に来た者……」

 智立は、この兄弟子の存外に冷たい言葉に目を剥いた。

「これはしたり、天礼。何を考えておる。丞蝉も、この智立の立派な弟子ぞ。たしかにあやつの心には、かつて(じゃ)が住んでおった。だがそれを克服できるとなぜ考えてやらぬのか」 

 すると天礼は、意地悪くふっふっと笑い、

「師よ、それではもし丞蝉がこの円嶽寺の僧侶にあるまじき思念を持った場合には、あれをどうなさるおつもりなのですか」

「たとえば、どういうことじゃ」

「そう、たとえば、己の欲のために人を傷つけたり、またはよからぬ悪法に手を染めたりした場合はどうなさるのです」

「自明じゃ。そのときは、一も二もなく破門しよう」

 毅然とそう言ってから、智立は、

「……じゃが、そんなことはあろうはずもない。今朝の二人を見れば、な。天礼、あやつを信用してやれ。そして善き方向へ導いてくれ」

 天礼の顔に、いつもの優しげな微笑が浮かんだ。

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