第四十三話 嵐到来(二)
二月の風は肌身を刺すように冷たく、糸のような細い音を伴って山上にある円嶽寺の僧堂に吹き付けてくる。
薄曇の空が、ゴゴゴ……と不気味に鳴った。
沸き起こり始めた黒雲は、すでに短い光の矢を地上に向かって刹那に放っている。
この時期の嵐は珍しい。
智立は先ほどから胸が騒ぐような感覚を覚え、谷を見下ろす寺の回廊から稲光のする南の空を凝視していた。
吉祥であるのか、不吉であるのか計りかねる。
しかし、何かが起こる。
今また、ひときわ大きく雷鳴がした。
酉の刻(午後六時)を過ぎると、雷鳴はいよいよ激しくなった。
さらに風は強まり、渺渺たる下界の塵を舞い上げるが如く吹きすさんでいる。
やがて雨が、ポツポツと音を立てて降り出したかと思うと一気に降り注いできた。おそらく昼間でも、煙が立ったように前が見えぬに違いないほどの降りである。
稲光と雷鳴、そして暴風に豪雨。
まるで天の竜王が、三匹、いや五匹ほども隊列を組んで猛り狂っているかのようであった。
カッ! と光ると同時に、バリバリ……ッ! と空が轟く。
山高い中にある円嶽寺ではしっかりと雨戸を閉め、皆沈黙していたが、それでも寺全体が揺れるような振動といかづちの轟音を防ぐことは出来ない。
大抵の者は、早々に頭から夜具を被って震えていた。
天地が割れてしまうのではあるまいか、本気でそう思いながら。
丞蝉は闇の中で目を光らせていた。
真っ暗な廊下を、真っ直ぐに白菊丸の部屋へと進んだ。
部屋の戸を開け中に入ったが、夜具の中でひとり震えている白菊丸にはまったく気付きようがない。
夜具をめくられて、初めてあっと声を上げた。
「じょ、丞蝉殿……」
名を呼ばれるなり、丞蝉は白菊丸に馬乗りになった。そして白い着物の裾を割る。
白菊丸は完全に混乱し、必死で丞蝉の右手を止めようとした。
「む、無体なっ! 丞蝉殿っ!」
「そなたには、もう城はない!」
びくりと白菊丸の動きが止まる。
「そなたはもう上稚児ではない、何の身分もない哀れな孤児に過ぎん。どうせこれからは、このように生きていくしかあるまい。俺で慣れておけ!」
それは、今までただ自分の前に跪いていた男とは別人だった。
白菊丸は、今はもう雷よりも、この男の異常な力と無情な言葉にただ恐れをなし、全身を硬直させた。
丞蝉は白菊丸の肌に顔を近づけ、その腹がひくひくと動き心臓が大きく打っているのを認め、思わず愛しさから口付けると「白菊丸……」と呼んだ。