第三十七話 白百合の影(四)
次の日、早朝の勤行を終えると、丞蝉はこっそりと寺の外で女と落ち合った。
昨夜融通を利かせた寺男が、たまたま月ヶ瀬村までの道を知っていたのでこれも途中まで同行することになって、三人は首尾よく寺を出た。
昨夜の夢に出てきた女が、今目の前にいるのは奇妙な感じがし、しんがりを務めながらついその後ろ姿をじっと眺めてしまう。男とは違う下半身の括れが、丞蝉の目を刺激する。
そしてふと、なぜ身重の若い女がたったひとりで旅立ったのだろうかと、いぶかった。
月ヶ瀬村へは、この山を下りて速やかに南への道を辿れば、三里半ほどで到着する。女連れでも夕刻前には十分着けるはずであった。
半刻ほど歩いた時、丞蝉は後ろから声を掛けた。
「少し休憩するとしよう」
だが女は振り返り、
「大丈夫でございます。もう少し、歩けます」
と、涼やかな声で言う。
が、それには構わず近くの木の根元にどっかと腰を下ろすと額の汗を拭き、
「いや、無理は腹の子によくない。ここへ座るがよかろう」
そう言って、水を差し出した。
女は素直に水を受け取ると、丞蝉の脇に座り、ほうっと息をついて木立を見上げた。
寺男は用意していた餅を取り出し、二人にも配る。
女は丞蝉の脚を見て、「傷はいかがですか?」と聞いた。
「たいしたことはない」
不思議と顔が火照るような心地で答え、それからどうしても気になっていたことを口にしたのだった。
「そなたの夫はどうした? なぜそのような身で、たったひとりで旅をしているのだ?」
女はしばらく無言でいたが、顔を上げ、
「夫はわたくしに、先にそこで待っているようにと、必ず迎えに行くからと申しました。ですから、わたくしは迷わず旅立ったのでございます」
と毅然と言った。
「それは……」
だが丞蝉は言いかけて、すぐに口をつぐんだ。
自分が夫の非情な身勝手さを責めても始まるまい。
そんな丞蝉の心を読んだように、女はふっと儚げに笑い、美しい目元に何とも言えぬ情を漂わせた。
「わたくしは、ある神様に仕える巫女でございました。本来ならば、夫など持ってはならない身……。しかし、互いに惹かれ合ってしまったのでございます、どうしようもないほどに。わたくしは、夫を信じております」
突然、木々の梢であまたの光が煌いた。
そして風が、葉全体を揺らして行き過ぎてゆく。
丞蝉は、遠雷を聞いたと思った。
おかしなことよ、空はこんなに晴れているというのに。
そう思いながらふと合った女の瞳は、はっとするほど透明な輝きを映し、真っ直ぐに丞蝉を射た。
「わたくしは、夫となった方に身も心も……いえ、運命のすべてを委ねたのでございます」
そして腹の子へ、優しく手をやった。