第三百五十九話 夏の影
陽射しは強く、風は止んでいる。
だるそうに生い茂った草の間を、紫野は馬で進んでいった。
背には長剣が静かに収まっている。
進みながら、今、紫野の心を占めているのは疾風たちのいない不安よりも、怒りだった。
非力な子供たちを力づくでさらい、それを盾に己が要求を押し通そうとする下劣なやり方が許せない。
果たしてその思いは、この暑さの中でますます膨れてゆく。
やがて幅の広い川の手前で紫野は馬を止めた。
嘉平次の村はもう左手に見えている。
だが目の前の川を渡り森に入れば……そこからは盗賊の領地だ。
紫野は判断に一瞬迷った。
(嘉平次の親父さんに、このことを話して行った方がいいだろうか?)
太い眉をした、いつも優しく頼りになる村長の顔が浮かび、紫野の心は揺れた。
が、同時にあのいかめしい兜を被った黒髭の盗賊の顔をも思い出し、またも胸の中は怒りの炎でいっぱいになる。
(あの盗賊――何の力もない、あんな野獣のようなやつ)
「あんなやつ、俺の長剣で斬ってやる」
口に出してそう言うと、ハナカゲの三図を叩き、川に進み入ってゆく。
ざぶざふと流れを横切りながら、紫野は、(やっぱりこれでよかったのだ)と思い始めていた。
嘉平次に知らせなくてよかった。
もし状況を見誤って踏み込まれては、かえって悪い結果となる。
それよりも自分の剣の力を信じよう。
結局そのまま川を渡り切ると森の入り口でハナカゲを返し、いよいよひとり、鬱蒼と茂る中へ入っていった。
その姿を確かめ、草むらで動いた影がある。
紫野の後を追ってきた井蔵だった。
紫野の頑固さを熟知していた井蔵は、ここで待ち伏せをしていたのである。
むろん紫野の剣の腕に疑いはない。
しかし、もしも紫野ひとりを行かせて紫野や子供たちに何かあれば、疾風に言い訳がたたぬ。
井蔵は紫野に続いて森の中に入り、だが奥へ進むにつれ空気が尋常でないことに気がついたのだった。
体に纏いつくような感覚は、次第に重く、冷たくなってくる。
やがて白い霧のようなものが漂い始めると、井蔵の視界から紫野の姿はすっかり消えてしまった。
焦った井蔵は、いちかばちか、単独で森を抜け盗賊のところへ行こうと試み、だがどうしても森を抜けることかなわなかった。