第三百四十三話 物見の鐘
又八は、草路村自慢の見張り台の主である。
夜も昼も、ほとんど一日中、この高いやぐらの上で過ごしていた。
もう五十に手も届こうかという身には、決して楽な仕事ではない。
けれどその報酬として、見張り台の下に妻おいとと二人、十分な住居を与えられていたし、近くの若者たちが度々見張りを手伝ってくれるので別段不満はなかった。
むしろ誇りを感じつつ、そこから遠い道の先を眺める毎日である。
今日はかなり大気も冷たくなっていて、紛れもない雪空が空を覆っている。
「こりゃ、降るな」
たくさんの着物を着込み、頬被りまでした又八がそうつぶやいたとたん、はるか上空にごみのような粉雪が見えた。
「おお、初雪だぞい」
まさかこんなことで警鐘を鳴らせないが、家の中にいるおいとには、ちょっと知らせてやりたい気になって軽く鐘を叩く。
こんなことは、しょっちゅうなのかも知れなかった。
おいとはすぐに顔を出すと、「あれ、雪かね」と言った。
美人ではない。子もできなかった。
それでも又八は幸せである。
おいとと二人きり、この見張り台での生活が、これ以上なく幸せだったのだ。
例の盗賊の噂はもちろん又八も聞いていて、今日も、多少普段より緊張感を持って丘向こうを眺めていたのだ。
その時、黒いものがちらりと見えたかと思うと、それはあっという間に騎馬した人間の形を取り、やがて物々しい黒馬に乗った大勢の男たちが集団となって村へ向かって来るのを認めたのであった。
又八は腰を抜かした。
(――来た! 盗賊だ!)
一刻も早く、皆に知らせなければならない。
うろたえつつ、それでも又八は何とか立ち上がると、渾身の力を込めて鐘を鳴らした。
雪が、激しく揺れる鐘の表面に、ふわりと溶けていく。
ちょうどその時、警固衆は、井蔵や村の男たちを交えて村の寄り合い場に集まっていた。
嘉平次の村の警護をどうするかで話し合いを持っていたのだ。
「この際、他の村の警護は置いといて、この冬は嘉平次のところに詰めるべきだ。盗賊のことだ、あの貴族の屋敷だけで満足して引っ込んでいるとは思えない」
と数馬が言えば、
「たしかに嘉平次も、『今回は特に気を許すな』と言っていた。俺も引っかからないわけじゃないが――だが、盗賊が最初に嘉平次の村を攻めると決まったわけではないだろう」
と、疾風が首をかしげる。
警固頭の藤吉も言った。
「我ら警固衆とて、あちこちの村に分散してしまうと威力は落ちる。だから森から一番近い嘉平次の村に待機してれば、やつらの動きに素早く対応できるかも知れない」
この意見に、井蔵は頷き、皆も納得したようである。
「よし。決まりだな。当分皆、嘉平次の村に待機する」
副頭の翔太が、明らかに言った。
「――紫野、おまえも来れるのか?」
聖羅がこっそりと紫野の脇をつつく。
「……行く……さ」
口籠もりながら、紫野が答えたその時である。
はっきりと、高い鐘の音が聞こえてきた。
「物見の鐘だ!」
疾風が叫び、全員が驚きながらも素早く武器を手に取ると、一斉に飛び出し村の入り口まで走る。
これほどけたたましく鳴らされるのは、村始まって以来、初めてかも知れなかった。