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第三百四十一話 最期の涙

 天礼の誤算は、丞蝉が天礼という男の器の小ささを、とっくに見抜いていたことであろう。

「秘密とともに死んでもかまわぬ」という言葉を、丞蝉はまったくの虚言ととった。

(この男は、何としても助かる気でいる)

 むしろその感を強く持ったのだった。


 突如ざばざばと湯に入り、天礼の髪を掴むと、乱暴に顔を湯に沈める。

 混乱して手足を溺れた者のようにばたつかせている天礼の命は、今や完全に丞蝉に握られているのであった。

 丞蝉は、何度も押さえつけたり、吊り上げたりを繰り返し、脅した。


「さあ、言え! 全部、本当のことをな。それともこのまま溺れ死ぬか――俺はどちらでもかまわぬぞ。言え! その子供はどこにいる?!」


 あまりの苦しさに、嘘は浮かばなかった。

 ただ真実だけが、あまりにもあっさりと口を突いて出た。

(――お願いだ、早く、早く解放してくれ!)

 その思いとともに。


「紫野――紫野というのだ、草路村というところにいる――十六歳の少年だ……嘘じゃない、その少年を捕らえて契ればよい。紫野の体は女に変わるのだ、本当だ……信じてくれ、丞蝉……私がおまえに嘘を言ったことがあるかっ」


 それを聞いて、丞蝉は大笑いをし、

「そうだな。きさまは俺を謀ったが、たしかに嘘ではなかったかも知れぬ」

 それからふいに興味を持ったかのように聞く。

「紫野、草路村の紫野、だな。なぜおまえはそいつを知った?」


「話す……話すから、手を放してくれ、丞蝉……」


 だが丞蝉は手を放さず、振り回すのをやめただけで、「言え」と命令した。

 天礼はポロポロと涙をこぼし、それでももう何もかもあきらめたように話し出す。


「あれは今年の、まだ春も浅い頃だった……私が住まいとしていた嘉平次の村の庵に、紫野が偶然訪ねてきた。紫野は草路村の警固衆のひとりで、ちょうど村へ警邏の仕事に来ていたというのだ。その日からなぜか、紫野は私に興味を持ち、優しくしてくれた。だがあの晩、紫野がわしに告白したのだ、自分は体が変わると」


 そこで天礼は、ううっとうめくと、ついに号泣した。


「私は不思議でたまらなかった、なぜこんな年寄りに優しくしてくれるのかと。紫野の心を疑った。だが一緒に過ごす時間が多くなるにつれ、私は紫野の真心を知ったのだ……次第にもう紫野なしでは考えられなくなっていった……私は知らなくてもよかったのかも知れない。知らなければこんなことにはならなかった、紫野を失うこともなかったのだ!」


 正気を失ったかの如く「紫野、紫野!」と泣き喚くかつての兄弟子は、見るに耐えない。

 何たる醜態、体たらくであることか。

 怒りすら覚えながらその頭を側の大岩に向かって突き放すと、額を打ち付けた天礼は気を失ったまま湯に浮かんだ。

 赤い血が額から流れ落ちる。

 丞蝉はその体を引きずり上げ、鬼六に命じた。

「こいつを吊るしておけ。カラスの餌にしろ」



 湯場を出て渡り廊下を歩きながら、欣喜してよいはずの自分がまだ半信半疑であることに、丞蝉は釈然としない。

 積年追い続けてきたものが、こうもあっさり飛び込んでこようとは。

 あの若き日に、俺があれだけ探し求め、それでも手に入らなかった『陰陽伝』の鍵を握る子供を、あやつが見つけたというのか。

 気に入らぬ。

 俺の目は、何のために開いているのか。


 今にも降り出しそうな低い灰色の雪空を眺めると、「紫野、紫野!」と顔を歪めて子供のように泣き続ける男の顔が浮かんできた。

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