第三百三十二話 魔鬼の刻(とき)(一)
天礼の側にいるだけで安堵を感じるのみならず、最近の紫野は、天礼に触れていたいと思う気持ちが強くなっていたのであった。
それは高香に対する気持ちとは、微妙に違っていたかも知れぬ。
いかんせん、あの頃はまだほんの子供だった。
だが今や紫野も十六、天礼を父と慕うほど子供ではない。
おぼろげに、異性としての彼を感じていたかも知れなかった。
その証拠に、このところ頻繁に体が変化するのである。
それは主に夜、自分の床の中でだったが、天礼といる時にも体がざわつき、変化しそうになることはしょっちゅうであった。
そんな時、「強く抱き締めて欲しい」という裡なる欲求に抗いがたくなってくる自分をまざまざと感じ、紫野は身震いせずにはいられない。
いや、それどころか時として、体の奥底から「どうぞ俺の体を可愛がって」という哀願さえ聞こえてくる。
自分でも、(信じられない)と思うのであった。
庵に帰り着いた二人の体は、さすがに冷えてしまっていた。
紫野は手際よく火を起こすと天礼の手を取って火の前に案内し、来る前に獲っておいた川魚をあぶり、天礼はそれを酒と一緒にさも美味そうに頬張っている。
紫野は酒は飲まなかったが、今日の楽しかった出来事で胸が一杯になり、まるで酔ったような高揚感に満たされて顔を紅潮させていた。
今日ほど川魚が美味しいと思った日はない。
そして腹も満たされ血が巡ったせいか、天礼の体を洗っている時には感じなかった疼きが突如湧き起こり始め、紫野は唐突に天礼に抱きつきたいという衝動を、慌てて抑え込んだ。
目の見えない天礼は、そんなことには気づかず、嬉しそうに口を動かしている。
どきどきしながら紫野は、
(天礼の目が見えなくてよかった)
そう思う一方、
(もしも女の体で抱きついたらどうなるのだろう?)
という、とんでもない想像を巡らせるのであった。
「もっと早くつれていってあげればよかったな。俺、気がつかなくて」
「いやいや、何を言う。今日は本当にありがたかった……こんなにさっぱりした気分になれたのも、おまえのおかげだよ」
紫野は魚を刺していた串で火をつつくと、
「俺も嬉しい……天礼が、こんなに喜んでくれるなんて思わなかったから」
すると天礼は紫野の方へ手を伸ばし、紫野がその手を取ると自分の手の中で紫野の両手を大事そうに揉み、また声を詰まらせた。
「紫野や、おまえがいなくては、もうわしは生きていけぬ。これからもずっと側にいてくれるな?」
その言葉は意外なほど紫野の心を動かし、紫野は天礼の手を握り返すと、
「もちろんだ。ずっと側にいるよ、天礼」
と返したのであった。