第三百三十一話 紫野の計画
秋は深まり、山肌は錦絵のように鮮やかに染まっていた。
ある日紫野は、天礼と会っての帰り道、山の中にこんこんと湧く湯を見つけ、今度ぜひ天礼をそこへ連れて行ってあげようと思ったのだった。
この辺りの山の麓には、ところどころ湯が湧き出ている。
紫野はその中でも、人が入れそうな温度の温泉が出ているところを調べ、さらに目の見えない天礼でも比較的危険なく歩けそうな道を選んだ。
そうして今日、夕餉にと獲った川魚を準備して、紫野はハナカゲに乗って天礼の庵へとやって来たのだった。
「天礼、湯に浸かりに行こう。体を洗ってあげる」
それを聞いた天礼は、驚いて聞き返したことである。
「何だって? 湯だと?」
頷いた紫野が、
「大丈夫。ちゃんと俺が安全に連れて行ってあげる」
と言うと、二度と聞き返すことなく、すぐに腰を浮かせた。
山道はともかく、ごつごつした岩場を行くのはやはり難儀であった。
が、ようやっと目的の場所へ辿り着くと、二人は笑顔になり、早速湯を楽しみだす。
岩場は少しきつい硫黄の臭いがしていたが、それでも体に沁みる湯の温かさと、肌を滑る水の感覚は、思わず声の出る気持ちよさである。
「なんと幸せなことだろう」
天礼は湯を自分の顔や肩にかけながら、おお、とため息を漏らした。
「体を洗ってあげるよ。そのまま、じっとしていて」
紫野が手巾でゆっくりと背中をこすり、腕や、胸や、脇の下を、腹を丁寧に洗ってゆくにつれ、天礼は感極まったように泣き出した。
「こんなところで仏に会えるとは……ああ、湯を使うのは何年ぶりだろうか。もうずっと、忘れていたよ。ありがとう、ありがとう」
そう言いつつ紫野を拝むのである。
紫野は嬉しかった。
自分が思いついたこの計画が、十分に天礼を喜ばせることができたということに大満足であった。
初めて自分で最初から決め、行動をし、それが認められたような気になる。
そしてそこに相手からの感謝が加わると、こんなにも自分自身が嬉しいと感じられるものなのかと、心から感動していたのである。
それぞれに心を幸せな気分で一杯に満たすことができた二人にとって、帰りの山道は苦にならなかった。
またともに手を繋ぎ、ゆっくりと庵へ帰っていった。