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第三百三十話 散り花(四)

 旅籠の前は、すでに騒然としていた。

 聖羅は慌てて馬から降りると、今まさに悲鳴を上げながら旅籠から飛び出してくる人々に逆らいつつ、中へと入ろうとした。


「ええい、どけいっ」


 その時、肩をいからせ出てくる武士の一人に突き飛ばされて、聖羅は「あっ」とよろける。

 堂々とした身丈のその男が頬から血を流しているのが一瞬見え、聖羅は咄嗟にそれが山内次郎九郎だとわかった。

 

「――小笹!」


 男のことはともかく、聖羅は旅籠の階段を駆け上がる。

 そして二階のいつも佐吉たちと通される部屋で、うつ伏せている小笹を見つけた。

 少し離れたところに、かめ吉とおつたも、折り重なるようにして倒れている。


「小笹っ!」


 遠巻きに見ている客たちを尻目に、聖羅はためらいもなく小笹の側へよった。

 龍神村の夏祭りの夜、聖羅が着ていた鮮やかな青い直垂と袴を身につけた小笹をゆっくりと抱き起こすと、口の端から血を流している彼の目が薄っすらと開き、聖羅を見た。


「しっかりしろ、小笹……俺がわかるか?!」


 言いながら聖羅は、直垂の胸から腹にかけての部分が見事に斬られ、べったりと血に濡れているのを知って愕然とせざるを得ない。


「よ……お。……しくじっちまった……ぜ」

 にたりと口元を歪ませ、そのまま目を閉じた小笹は、それきり動かなくなった。


「小笹っ、小笹ーっ!!」


 旅籠の主人がそっとやってきて、「まさか、こんなことになるとは」とつぶやくのが耳に入る。

 むろん聖羅にもまったく納得がいかなかった。

 納得の仕様もない。

 すっくと立ち上がると、山内次郎九郎のあとを追おうとした。


「お待ちなされ」


 その腕を主人が掴む。

 彼は声を殺し、だが懸命に聖羅を押しとどめようとして言った。


「相手はお侍ですぞ――それより佐吉の旦那様にお知らせして、小笹さんを立派に弔ってあげてはいかがです?」


 涙の浮かんだ目で、聖羅は主人を見、それから小笹の紙のような白い顔を見た。


 血にまみれた凄惨さとは裏腹に、その顔には安堵感が浮かんでいる。

 聖羅は、今更ながら、小笹が言った言葉を思い返していた。


 ――どうせ長く生きていたって意味のない人生だからな。そろそろ死に際なのさ。


 もしかしたら、小笹は死ぬために、「敵討ち」などという大義名分が欲しかっただけなのかもしれない。

 どう考えても、一度刀を捨てた小笹が、いくら身のこなしが軽いとはいえ、戦場を巡る武士にまともに刃向かえるはずなどなかったのである。

 山内次郎九郎の頬から血が流れていたところを見ると、小笹は妹の無念に一矢なりとも報いたのであろう。

 それで満足だったのではないだろうか。



「小笹の馬鹿野郎……嘘つきは、地獄に落ちろ」


 ぽたりと涙の雫が、手綱を握る手の甲を滴った。

 細魚村に戻りながら満天の夜空を見上げると、小笹の声が降って来るような気がした。


 ――おう、悪いな。一足先に、地獄で待ってるぜ……

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