第三百二十話 幻視(二)
一瞬、その場にいた誰もが言葉を失った。
嘉平次、疾風、聖羅、蓑介に久治郎と嘉平次の村の男数人。
当然、紫野もまったく口が利けなかった。
と、次の瞬間、嘉平次が慶次の腕を引っ張って叱りつける。
「慶次! おまえは、何ということを言うんだ。ウソでも承知しないぞ! さあ、紫野に謝れ」
子供はうわーんと泣いた。
「だって、夢で見たんだもの。もう何度も見たんだもの……紫野はお父を殺すんだ!」
子供の言うことである、と頭では思っても、紫野は冗談めかして微笑むことすらできなかった。
それどころか目の前で慶次が火のついたように泣くのを見て、紫野はここにいてはいけないような気持ちになってきたのだった。
「疾風、俺、ちょっと駆けてくる」
そうして疾風が返事を返す間もなく、ひとり駆け出していったのである。
咄嗟に追おうとした疾風を聖羅が止める。
「疾風、皆も、すまないな……」
そう言うと、嘉平次も慶次を連れてそそくさと立ち去っていった。
後に残った者たちは、かなり気まずい雰囲気である。
久治郎が前歯のない口を開き、多少ぎくしゃくと笑いながら言った。
「子供の言うことさね。嘉平次も紫野も気にするこたぁあるまいに」
すると互いをちらりと見合った嘉平次の村の男の一人が、言いたくはねぇんだが、と前置きをして話し出した。
「慶次の見る夢は、本当になることがあるんじゃ。誰それの家が燃える夢を見たとか、誰それが川に浮いている夢を見たとか、結構その後本当になって、多少気味悪がられとる。じゃがまあ、嘉平次の一人息子だて、誰ものけもんにしたりはせんがな」
疾風も聖羅もあっけにとられた。
だからといって、紫野が嘉平次を殺す理由がどこにあろう。
「だが今回は間違いだ――間違っとる」
疾風がカラカラになった口から言葉を搾り出そうと試みるうちに、代わりに蓑介がはっきりと断言した。