第三百十四話 侵入者(三)
一方雪は、あどけない顔を一瞬歪めたが、すぐに紫野に駆け寄って安心したようにその手に触れた。
「紫野、怪我がなくてよかった」
紫野は、はっと思う。
雪のふわりとした掌が自分の棘々した心に触れたようで、それでも安らぐどころかそれは、焦りと自己嫌悪の罠にかかったも同然の心境にさせた。
(どうしていつも誰かが俺に手を貸すんだ? どうして俺は、最初から最後までひとりじゃこなせないんだろう?)
唇を噛む紫野の横で、疾風が剣を鞘に収めつつ戒めるように言う。
「紫野、あまりむやみに人を斬るな。俺たちは人斬りじゃない」
「先に剣を抜いてきたのはこいつらだ……俺はちゃんと警告した」
つい、反発する言葉を吐く。
涙が出そうだ。
後ろで聖羅が死んだ男をつま先でつつきながら、「馬鹿な野郎だぜ、こいつら。紫野を怒らせて」と愉快そうに言っているのを耳にしながら、疾風はまた紫野が不安定だと感じ、だからこそちゃんと言っておこうと思ったのだ。
「紫野……」と紫野の腕を掴む。
と、その時、またふと花の香りが鼻をかすめ、疾風は一瞬、自分の言いたいことは何だったろうかと戸惑った。
紫野の腕。
――今、俺はたしかに掴んでいるのだろうか。
「紫野……仲間がいる時ならまだしも、せめてひとりの時は自重しろ。もしも危険な目に遭ったらどうする」
疾風には紫野の答えはわかっていた。
案の定、紫野は疾風の手を振り払うと、きっと見据え、声に怒りを滲ませながら言った。
「疾風はお節介だ。今だってよけられたのに。いつも俺を子供扱いする。俺だってもう一人前だ」
それでも今日は(またやってしまった)とは思わない。
疾風の意識は違うところにあった。
――紫野の瞳。
なぜこんなに澄み切った目をしているのだろう。
だが、この目がなぜか俺を不安にさせるのだ。
この目にこれから一体どんな感情が宿るのだろう。
疾風は、花の香りを感じたことによる動揺と、今自分が感じたことで少なからず心に立った波をはぐらかせるためにわざと強めに紫野をつつくと、
「どこが一人前だ。俺さえそうは思っちゃいない。俺たちは三人そろって一人前なんだ」
と咄嗟にふざけてみせた。
すると紫野は、ちょっと考えて言ったのだった。
「そうかもな。わかった。ありがとう、疾風」