第三百十一話 取引
蛙の声がうるさいほどの田んぼに沿った道を、星明りの中、ナガレボシに乗った聖羅は『庄屋屋敷』にひとりやって来た。
近くの木の枝にナガレボシを繋ぐと、足音を忍ばせて屋敷の裏に回り、ある部屋に向かって小石を投げる。
すると障子戸がさっと開いて、小笹のにっと笑った顔が突き出された。
「おう、来たか」
無言で立つ聖羅を顎で招き入れ、小笹は灯台の近くにあぐらをかく。
「で、話ってのは?」
「俺――佐吉さんに誘われたぜ」
唐突に言われたその言葉に、小笹はかなり動揺した様子である。
形勢は逆転した。
小笹がいきなり哀れっぽい声を出す。
「おいおい、待て待て……おめぇ、お受けしたんじゃあるめぇな」
「受けてない。だけどもし小笹が紫野に手を出したら、俺はいつでも佐吉さんと寝てやるよ。そうしたらきっと、小笹は捨てられるぜ」
聖羅の挑戦的な態度に憤るかと思いきや、小笹はいっぺんにしょぼくれてしまい、
「頼む、それだけは……知ってるだろ? 俺がどんなに旦那を必要としてるかを」
半泣きの顔を、大きな手で覆う。
聖羅は言った。
「知っている。だから俺は佐吉さんとは寝ない。だから小笹も紫野に構うな」
「――取引だな」
赤い目を向けて小笹はつぶやくように言うと、足をそろえて座り直し、側にあった徳利と杯を手にした。
杯を聖羅に渡すと、
「飲め」
と酒を注ぐ。
その後今度は自分が杯を取り、聖羅に酒を注がせてぐいっとあおった。
「紫野は可愛い」
未練なのか、小笹がぼそりと言う。
「本当の女だったらよかったのに」