第二百九十一話 夢魔
その日は一日中紫野が楽しそうに火の側で話し、疾風は心地好く過ごすことができた。
今まで心にわだかまっていたものもすっきりと消え、疾風は今度は自分が寺へ訪ねていくと紫野に約束したことである。
あくる日、疾風が家に続く山道をせっせと雪掻きしているのを見た井蔵はにたりと笑い、
(あいつも馬鹿正直なやつだな)
と思ったのだった。
結局三日も待てず、疾風は寺への山道を上り、妙心寺の門をくぐった。
綺麗に雪を除いてある境内を、恵心がいつもの仏頂面で掃き掃除している。
軽く挨拶を交わした疾風は、早速僧坊に上がってミョウジか紫野を捜した。
その時後ろから、
「おお、疾風か」
と声がし、振り返った疾風をにこにこと見ている和尚と目が合ったのだった。
「ミョウジ、久しぶり。ええと……紫野は?」
「紫野なら多分厩だろう」
だがすぐに立ち去るのは悪い気がして、疾風はばつの悪そうな顔をし頭を掻いた。
「紫野の具合が悪かったと聞いたんだが――よくなってよかった」
「ああ」と和尚は唸ると、ちょっと眉を寄せた。
「それがの、本当におかしなことじゃった。高香の薬があっという間に効いてくれてよかった」
疾風の中に、和尚からもこの話を聞いてみたいという好奇心が湧く。
「夢遊病になったと紫野が言っていた。意識もなく寺の中を歩き回るなんて、本当にそんなことがあるのか?」
すると疾風の意を得たように、和尚も口を開いた。
「うむ。わしもそんなことがあるとは思ってもみなかったが、紫野は何日もそういう状態だったのじゃ」
そうして、思い出すような目をする。
「高い熱が出た最初の夜、夜中に気になってふと部屋を覗くと、紫野は立ち上がって障子戸を開け放ち、庭を眺めておったのじゃ。冷気が流れ込んで部屋はすっかり冷えてしまっておる。何をしておるのか、と紫野の側へ駆け寄ると、あの子はうつろな目をして言ったのじゃ――『早く帰ってたも』と」
「『早く帰って……たも』?」
「そうじゃ。誰がかね、と尋ねたが、あの子はそれしか言わなんだ。わしはおそらく、高香のことじゃろうと思う――」