第二百六十八話 空木(うつろぎ)(二)
ふっと微笑むと、疾風は綾ねの手を取った。
「綾ね、俺と一緒に遊ぼう。紫野は山へ行く」
そして紫野に向き直り、できるだけさっぱりと、言った。
「おまえは行ってこい。雪も行くんだし。それに明日、高香は発つそうだから」
(発つ? そんな)
紫野は疾風の言葉に衝撃を受けた。
(まだ夏は、ぜんぜん終わっていない!)
とたんに心臓が胸を突き破るほど鼓動を高め、目の前がかすんでくる。
もう限界だった。
高香のことを思うだけで、最近の紫野は苦しくなるほどであったというのに。
自分の体の変化を案じてかれを避ければ避けるほど目はその姿を追い、心は締めつけられるようだったのだ。
ずっと我慢してきたのに、今の疾風の一言で紫野の心は張り裂けそうになってしまった。
(行ってしまう、高香が!)
「な、行ってこい」
紫野の背中をぽんと叩くと、疾風ははしゃぐ綾ねの手を取り歩き出した。
綾ねが振り向いて手を振る。
「いってらっしゃぁい、気をつけてね」
隣に高香がいる。手を伸ばせば届く距離にいる。
高香からは柔らかな草の匂いがした。
今、高香は薬草の効力を教えていた。
雪の横で難しい顔をして聖羅も聞いている。
だが紫野はまったく上の空であった。
(薬草なんて、どうでもいい)
なぜそんな急に発つのか、今すぐ高香を問い詰めてみたい気持ちだった。
なぜもっと早く教えてくれなかったのか。なぜ。
「それはウツギだ。秋になったら実を取って天日で干すのだ。体から毒素を出しやすくする。幹が中空になっていて、空木という意味から名がついたのだ」
そしてふと振り向いて紫野を見た。
「紫野、どうした。気分でも悪いか」