第二百六十六話 戸惑い(三)
小滝での一日以来、紫野が何となく自分を避けているのを高香は感じていた。
側にいたいと言っていたのが嘘のように、寺の中でさえ、紫野はほとんど高香の側にいなかった。
和尚が呼んだ時だけ無表情に現れて、ろくに高香の方を見ようともせず、心落ち着かないようにそわそわしているのである。
高香は特に何も聞かなかった。
(紫野がそうしたいならそれでいい。自分は短い間の居候だ)
一抹の寂しさを感じつつ、そう考えて高香は、いつもより長い時間村を回り、いつもより多くの日々を村人の家で過ごした。
そう、紫野は高香を避けた――
それは感情を抑えることでしか体の異変を防ぐ方法がないと、紫野が理解したからである。
無感情でいれば、恐ろしい思いをせずにすむ。
自分が化け物であると人に察知されずにすむ。
無感情でいること。
だがこれが意外に難しかった。
しゃべっているだけで顔に血が上り、意識をすればさらに動悸がする。
特に高香のことを考えると、心が騒ぐのを抑えられない。
あの手の温もり、瞳の優しさ――
思い起こすだけで、身が疼くようだ。
さらにここ数日は、誰の目も意識してしまう。
たとえば紫野を見る疾風の目。
身を刺すように感じられる。
これまでもずっと、疾風は自分を見守ってきてくれたのだ。今更何が気になるというのだろう。
だが理屈ではなく、紫野は疾風に見られると、その衣服まで見透かされ自分の秘密を探られているかのように感じてしまうのを止められなかった。
疾風に「女の部分」を見られる――考えただけで、死にそうなほどの恥辱がよぎった。
そして雪に対しては、後ろめたさのようなものから、笑顔が出なくなっているのである。
ばかりかあれ以来、雪を抱いている自分がいつの間にか同じ女になっていて、雪が悲鳴を上げるところで目が覚める悪夢を繰り返し見る。
(俺は雪を幸せになんかできない)
紫野は気が狂いそうであった。