第二百六十五話 戸惑い(二)
紫野が声をかけようかどうしようか、迷っていると、いきなり疾風が部屋から出てきた。
二人とも、「あっ」と一瞬足が止まる。
だが疾風の方が早かった。
「おう、紫野。よく寝たか?」
「う、うん」と答えた後、紫野は思い切って言った。
「疾風、昨夜はすまぬ。俺――どうかしてた」
すると疾風は、ポンと紫野の肩を叩き、
「気にするな」
一言そう言った。
やっとほっとして部屋に入ると、紫野は明るく挨拶する。
照れながら謝ると、与助と太平も、
「紫野、大丈夫か」
と声をかけてくれた。
その時紫野は、むしろ聖羅の表情にはっとしたのである。
笑顔のない無表情ともいえる顔に、目が冷たく光ったように思え、刹那、紫野の背筋がぞくりとした。
が次の瞬間、聖羅はぱっと笑い、
「よう」
と手を挙げたのである。
(見間違い?)
そしてようやく紫野は人心地つけように思えた。
ところが、である。
朝餉を終えて、皆で寺の掃除をしていた時、作造の声が聞こえた。
「やあ、高香さん。お帰りなさい。権三の具合は落ちつきましたかの」
(高香だ。帰ってきた!)
そう思ったとたん、紫野は急激に高鳴り出した胸を押さえ――そして、異変をじかに感じた。
掌にぐぐっと盛り上がる肉を捉え、思わず悲鳴が上がる。
「どうしたの、紫野?!」
雪の声にも構わず、胸を押さえたまま、紫野は再び自分の部屋に向かって駆け出していった。