第二百六十四話 戸惑い(一)
翌朝、皆より早く起きだした紫野は、顔を洗い、ハナカゲを走らせて、気持ちと体を調節した。
が、それでも、疾風や聖羅の声が聞こえ始めると、自然と体に緊張が走る。
(――自分から飛び込んでしまえばいい)
頭でそう考えながら、紫野は廊下で突っ立っていた。
昨夜、せっかく皆が楽しく夕餉の時間を過ごしているのに、自分は馬鹿な一言を口走ってそのまま部屋に引きこもって寝てしまったのだ。
おまけに聖羅に、とんでもないことを言ったような気がする。
聖羅が「あのままの言葉」を疾風に伝えないでいてくれればいいのだが。
じつは紫野が引きこもったのを見届けた聖羅は、あの後皆のいるところに戻り、
「頭が痛いらしい」
と言っただけであった。
聖羅は一瞬見た紫野の表情が引っかかり、紫野が何に怯えているのかはっきりと知るまでは、さっきの言葉は自分の胸に収めておこうと思ったのだ。
それでも疾風には当然気になることである。
何しろ、紫野は自分を睨んではっきりと「俺を見るな!」と言ったのだから。
夕餉が終わり、疾風は聖羅の袖を引っ張った。
「おい、聖羅。紫野はどうしたんだ? ほんとに頭が痛いだけなのか?」
小声で聞く。
聖羅は意地悪く、
「ああ。だが疾風、おまえ、紫野を怒らせたぞ」
と言ってみる。疾風は焦れたように言った。
「わかってる。だが何でだ? 俺、何か言ったか?」
「さあ」聖羅は肩をすくめて見せた。
「目は口ほどにものを言い、さ」
「馬鹿。俺は真面目に聞いてるんだ。なぜ紫野は……」
雪の視線を感じた聖羅は、疾風を制し、
「おい、熱くなるなよ。後で話すから」
と言った。
それから雪たちを部屋に案内した後で、疾風にこう言ったのだ。
「紫野は、いつまでも子供扱いされたくないんだ。疾風がそんなつもりじゃなくても、あいつはそう感じてる。これからはもう、放っといてやれ」