第二百六十三話 嗚咽(四)
いきなり胸の張る感覚が起こり、また自分の体に異変が起こったことを紫野は悟ったのである。
息を呑んだまま、身動きができなかった。
(恐らくは、下の方も変化しているに違いない……)
そう思う紫野の額には脂汗が滲み、冷たいものが背中や脇の下を流れる。
紫野は恐ろしかった。自分でありながら、他人のようなこの体。
(――俺は呪われているのか……?)
その時無情にも頭の中に閃いた閃光が、鉄の楔を叩き込まれる衝撃となり、紫野を襲った。
それは、紫野の存在自体を打ち砕くが如きである。
――呪われた子
紫野は突然思い出したのだ。
真っ暗な中、嵐の空を走る稲光のように、鮮明に甦る記憶。
それは女と、幼き日の自分である。
自分の前には見慣れた妙心寺の門があり、そこに戸惑い顔のミョウジが立っている。
そして紫野は、今、その女の言葉をはっきりと思い出していた。
『この子は特別な子なんです。呪われた不幸な子なんです、お坊様。ですからどうぞ、この寺で育ててください。呪いを撥ね返すためには寺しかない。もしも駄目とおっしゃるんなら、どうぞ殺してください。その方がこの子も幸せでしょう……』
……ああ、あれは俺の母なのだ。
俺を生んだ母親はそう言って、まだ幼かった自分を和尚に押しつけて走り去ったのだ。
(なぜ、今まで忘れていたのだろう?)
急にこみ上げてきた感情に、紫野は叫びそうになった。
必死で夜具を噛んでこらえるけれども、涙はぽろぽろとこぼれる。
しゃくり上げるような嗚咽が空気をこすり、細くなって消えていった。
悲しかった。
己の境遇も。母の記憶も。