第二十六話 不言
季節は、若い葉の芽吹く吐息が山々いっぱいに漂う、初夏である。
野山の輪郭も目にすがすがしく、風は少しばかりもっちりとして肌につく。
二人の沈黙の間に、さわりと木々の梢の鳴る音がした。
実は高香は、まだ赤子の頃、この寺の門前に置き去りにされていた身であったのだ。
当時、智立は、考えた末に一番近い日影村の女に赤子を託したが、この赤子、どうも体が弱いらしく熱ばかり出す。結局女は高香を見放し、二歳になるまでに高香は再び寺へと戻ってきたのだった。
そこで智立は、今度は薬草の知識の深い者を呼び寄せ、それ以後はずっと彼の世話を見てきた。
高香にとって、智立は親にも等しい、いやそれ以上の存在なのだった。
今、そんな高香の心配を感じ取った智立は、重いものを振り払うようにすっくと立ち上がり、気勢ある声を出した。
「どれ、幸元殿をお待たせしては申し訳ない。すぐに参ろうかの」
高香は黙って頭を下げ、それから智立を案内すべく立ち上がる。
だが高香にはわかっていたのだ。
今しがた、丞蝉が智立法師の前から去っていったことを。
そして、法師が丞蝉に不安を感じていることを。
なぜなら、それはとりもなおさず、自分も感じていたことであったから。
――丞蝉。
この兄弟子が、なぜか自分に対して好意的な感情があるとは思われぬ。
そして彼のすさまじい気は年々強くなってくるようで、近頃では側に寄ると身震いすら覚えるほどになっていた。
その身から発する魂魄は、御仏に仕えるというより、神仏に挑んで燃えているかのように高香には思えるのだった。
しかし、自分は何も言うまい。
我もただ我の道を修行するのみ。
生かされている間は智立法師の導きに従い、自分の使命を果たすのみ。
高香がそう固く心に決めているのは、自分が背負った悲しい運命ゆえでもあった。