第二百五十五話 小滝での出来事(三)
興味津々の紫野に、高香はちょっと困ったように、だが仕方なく言った。
「まあ順番に聞いてくれ。おまえには正直に白状するから」
――まさか、紫野にこんなことを聞かれるとは。
自分にはたいして誇れる過去もないことを、高香は改めて情けなく思いながら、語り始めた。
「私は薬売りをする前は僧侶だった。私はある事情があって普通の暮らしはできないから、本当に小さい頃から寺で生活してきたのだ。その点はおまえと一緒だな、だからおまえと気が合うのかも知れぬ。とにかく僧侶の頃には女を抱く機会もないし、許されない。もちろん、抱いてみたいと思ったことはあるさ。だが欲望は悪だと教えられてきた。抑えるのに辛い思いをした時期もあったよ」
「僧侶だった? 高香が?」
例によって、団栗眼になった。
「薬を売り歩くより、似合っていると思わないか?」
高香は照れ笑いし、
「私が薬売りを始めたのは、まだ十年にもならぬ、寺を破門されてからだ。一緒に修行をしていた僧が道を誤ってね……和尚が責任を取って寺を閉めたのだ。仕方のないことだったよ。それからは晴れて自由の身となったが……」
ついに白状せざるを得ない。
「実はまだ抱いたことはない」
紫野は拍子抜けして岩から滑り落ちそうになった。
――確か、俺より十は年が上なはずなのに!
「期待を裏切って申し訳ないな」
高香は頭を掻いた。
「言い訳がましいが、欲望も時を逸すれば起きなくなるのだ。私はもう年寄りだな」