第二百三十七話 都人の屋敷
「あの森の向こうに何があるか、知っているかね」
ふわふわと小雪が舞い落ちる中、嘉平次が指差して言う。
疾風はカゼキリをとめ、今は薄っすらと雪を被っているこんもり茂った川向こうの森を眺めやった。
「都人の屋敷があるのさ」
そう言うと嘉平次は、馬の踵を返した。
「そりゃあ立派な、御殿のようなお屋敷だ。ある日、大きな木が何本も運ばれたくさんの大工があの森を出入りするようになってな……それから屋敷が出来上がって、牛車や稚児をともなった都人の行列が森の中へ静静と入っていくさまは、まるで狸か狐の嫁入りみたいだったなぁ」
「へぇぇ、俺も見たかったな」
聖羅が瞳を輝かせる。
「嘉平次の親父さんは、その屋敷に行ったことがあるのかい?」
紫野が聞くと、嘉平次は黒髭に積もった雪を払い落としながら、
「もちろん中に入ったことはない。だが近くまで行ってみたことはある。大きな門があって、屋敷のまわりには丈夫な高い塀が巡らされているんだ。屋敷自体は、いかにもいにしえの都人が好みそうな、風雅なそれでな」
「疾風、行ってみよう。俺も見てみたい」
「やめておけ」
嘉平次は聖羅を制した。
「軽々しく行こうものなら、護衛兵の弓矢が飛んできかねん。あの森も陰気で危険だ。わしは好かぬ。あの辺りには近寄らぬ方がよい」
嘉平次の村での警邏を終えて、荷車に報酬の米や野菜や反物をいっぱい積みながら帰路につく一行の前に、こんこんと流れる川が現れ、嘉平次はそこで馬を止めた。
「こたびも世話になった。ではわしはここで失礼しよう。また春になったらよろしく頼むぞ、警固衆」
嘉平次が去ったあと、雪で濡れた橋を渡りながら藤吉が大きなため息をつく。
それは警固頭という大任を無事成し遂げた、安堵のため息であった。
皆口々に藤吉の労をねぎらい、久治郎と蓑介もかれの背をポンと叩くと、
「まだまだもう少しだ、大将。気を緩めず、村まで無事にけぇるんだ」
「春になったらさ」
聖羅はまだ森の方角を見ている。
「一度行ってみないか? 都人の屋敷にさ」
小さな声で、紫野は答えた。
「……行きたい」
二人でそっと疾風の顔を見る。疾風は眉を下げ、
「ううむ……。しょうがないな……」
そして三人は、笑い合った。