第二百七話 峠の女(三)
古くから、「峠はあの世とこの世の境だ」と言う人も多い。
この峠にも、成仏できずにさまよう霊魂たちが集っているのであろうか……。
それにしても、今は三人の危機であった。
彼らは山賊は倒せても、こういった場合においては何の訓練も受けていないのである。
そう、邪気を祓う呪文ひとつ、知らなかった。
(声が出ない……声さえ出せれば)
疾風はこの異様な状態の中、むしろ冷静になってくるおのれに感謝しながら、一声を振り出そうと集中した。
辺りには人のすすり泣く声が渦巻き、死人そのままの形相をした老婆は低くうめきながら疾風の足にすがっている。
風の音はあいかわらず強く、だんだんと覆うような闇の訪れが迫っていた。
すでに藪の奥は真っ暗である。
「う、う……」
紫野の唸るような声が耳元でした。
(そうだ、紫野! 声を出せ)
疾風がそう強く念じた時、ふっと体が軽くなり足元の老婆が消えうせた。
そしてすぐさま、聖羅の絶叫が響き渡った。
見る見ると、自分の手がまるで腐敗していくかのごとくまだらに染まっていく様には、さすがに紫野も恐怖が絶頂に達した。
だが叫ぼうにも声が出ないのである。
すでに呼吸もしにくくなり、今や必死で肩で息をしていた。
さらに目の前の胎児が、かすかに「おぎゃぁ、おぎゃぁ」と泣きながらまるで生き物のようにくねり、繋がったへその緒が蛇のようにうねり始めると、生きた心地がしなくなった。
見える範囲の自身の腕は、もうどす黒く変わり始めている。
そこから白い蛆が湧き出すのを、紫野は呆然と見つめ、
(俺はもう死んだのか)
そう思った。