第百九十九話 疾風
細魚村の権兵衛じいの屋敷を訪ねた時、おさきという少女が真っ先に飛び出してきて、草路村の警固衆をもてなしてくれた。
この少女は、屋敷の小者の話によるともともと孤児で、行き倒れになりかけていたのを権兵衛に救われたらしい。それからずっと、この屋敷で権兵衛の世話をしているということだった。
とりたてて何という特徴もない少女だが、声が大きく快活で、常に笑顔を絶やさずてきぱき動くその様は、皆に好かれているようだ。
だが、疾風はおさきを茜と重ねてしまい、どうにも落ち着かない。
(権兵衛じいもあの娘を後妻にするんだろうか)
そんな想像が頭を去らない。
もちろん、事実は違う。おさきはただの下女だ。
そしておさきは権兵衛を、実の父のように慕っていた。
疾風は初めてのあの体験が、自分をとても満足させてくれたと感じていた。
正直に言えば、茜のことは好きでも嫌いでもなかったが、茜の体は心地好く疾風を包んだのである。
そして自分を解き放った時に、それまでもやもやしていた得体の知れない鬱憤はすべて晴れ、久しぶりに爽快な思いをしたことだった。
あの夜は、疾風ばかりでなく茜も帰りたがらなかった。
そうして二人は朝まで肌を触れ合い続けたのである。
早暁、半ば放心状態で家に帰りついた疾風に何があったのか、井蔵は気づいたかも知れぬ。
が、今日の今日まで、父は何も聞かない。
(もし茜が町へ帰らなかったら)
自分は毎晩でも茜に会いに行くだろう、そんな確信を抱きつつ眠る日々は疾風を苦しめなかったわけもなく、時折、昼間でも苦しくて自分を見失いそうになるたびに疾風は頭を振って兼じいの剣を手にした。
『一人の女を激しく求め、愛するでしょうよ』というおしらの予言は、『女を激しく求め、愛するでしょうよ』というのが正しいのではないかと、思わず苦笑いも出る。
(――こんな自分を、聖羅や紫野に気づかれたくない)
とにかく、この思いがけぬ激しい欲望に、疾風は翻弄されながらも折り合いをつけていくすべを早急に見出さなくてはならなかった。
そして結局、その努力が、疾風を急激に一人前の男に仕立てた要因であった。
疾風の体から、目に見えない大きな覇気が出ている。
馬に乗って霞組の三人だけで細魚村の隅々を巡りながら、聖羅も紫野もそれに気がついていた。
カゼキリとともに疾風の動く空気がきらきらとし、そこだけが鮮やかに彩られているとさえ感じられるのだ。
行き逢う村人たちも、皆見惚れるように疾風を見上げているし、疾風が声を掛けようものなら女たちは失神しそうな勢いだ。
紫野はごくりと喉を鳴らし、
「本当だ。何か……違うな」
と、やや困惑気味である。
さらに驚いたことに、いつもは同じ警邏小屋で皆一緒に眠るはずが、警邏最終日の夕刻、聖羅と紫野だけが権兵衛の屋敷に止められた。
「疾風は?」
聖羅が聞くと、井蔵は片目を瞑り、
「悪いなぁ、疾風はちょっと借りるぞ。おめぇたちは権兵衛じいによくしてもらうといい」
そう言って、そのまま男たちの集団とともに行ってしまった。