第百九十七話 茜の願い(四)
おそらく紫野は、今静かな寝息を立てて心地好い眠りにたゆたっているだろう。
高香は庭先に揺れる小さな花が、銀色に輝くのを目を細め眺めていた。
冷たい風がついっと吹き抜け、額や頬に髪がかかる。
それを指でしなやかに払いながら、高香は月を見上げた。
月明かりの下で思うのは、白菊丸のこと――。
最近高香は、よく白菊丸のことを思い出していた。
(一途に丞蝉を慕っていた――それは、見ていてたしかに辛い部分もあったけれど、結局白菊丸殿は幸せだったのではないだろうか?)
そういう思いが、漠然と頭の中に浮かぶ。
高香自身は、丞蝉その人を嫌いであったことはない。むしろ魔の虜となり、智立法師と対立する形で終わってしまったことが残念だった。
丞蝉にしても、白菊丸をこよなく愛しんでいたのだ。
あのような悲劇的な死を白菊丸が迎えたことによって、丞蝉の心の闇が魔鬼を決定的に迎え入れてしまったのにほかならない。
(――どのみち丞蝉の思慕の強さに、彼の器は耐えられなかったろう)
そうとも思い、高香は思わず顔を暗くした。
白菊丸の無邪気な姿が、紫野と重なる。
紫野はどれくらい耐えられるだろう? 自分はどれくらい、紫野を追い詰めるだろう?
そう、自分の心の中に魔鬼が巣食うはずがないと、どうして言えるだろうか。
魔鬼とは、人の心に棲むもの。
今や高香もそれを知ってしまったのである。
小さな灯かりの中で、藁に埋まった茜の顔はほとんど影のようにしか見えなかった。
が、今はそれがありがたい。
茜は下から突き出した両手を疾風の胸から肩に這わせ、それから腰を少し浮かせると、器用に自分の帯をときだした。
そして自由にくつろがせた胸元を開き、大きくはあっと息を吐いて、つかんだ疾風の手を乳房に当てた。
その何とも頼りないほど柔らかな手触り。
目をやると、青白いほどの肌に、茜の乳輪は黒く大きく浮かび上がって見えている。
一瞬、暗闇の中で、茜の顔がおしらの顔に重なり、疾風の心臓はどきりとした。
すぐに身を起こし、手を引っ込めようとした。
「あ、茜、俺やっぱり……」
だが茜はぐっとつかんだまま、それを許さない。疾風の言いたいことを察し、すぐにまた強い力で引き戻すと、
「大丈夫、あたしが知ってるから――全部、教えてあげる」
と言った。
それからは何が起こったのか、わからない。
唇に茜の唇を感じ、さらに口の中いっぱいに侵入したものを疾風は許した。
高まる感情の波のままに、疾風は本能を全開にし、初めての行為にのめっていった。