第百九十六話 茜の願い(三)
「私、旦那さんの後妻になるの」
茜がすがりつくような目をして言うのを、疾風は赤くなり耐えつつ、
「ああ、それは長吉から聞いた」
とだけ言った。
後妻になることが、茜にとっていいことなのか、それとも悪いことなのか、疾風には推測しかねたからである。そしてそれは、はからずも正解であった。
茜はまたわっと泣き、疾風の胸に顔を埋めた。
「旦那さんは、もう六十なの。あたし、そんな老人の妻になるのよ」
「えっ、六十……だって」
茜はまだ十五。
たしかに相手がいくら蔵を持っていようが、それは気の毒なことのように思われた。
「断れないのか? 嫌々嫁ぐことはないだろう。長吉だって、あまり嬉しそうじゃなかったぞ」
だが茜は首を横に振った。
「だめ。時機が悪かったのよ。奥さんが病で亡くなって……あたしに子が出来たの」
茜は後の方を、まったく消え入りそうな声で告げた。
疾風はしばし絶句し、やっと、
「旦那さんの子か?」
と言った。
茜は小さく頷いたが、その打ちひしがれた様子が痛々しくて、疾風には後に続ける言葉が見つかりそうにない。
「旦那さんはありがたく思えって。おまえのような卑しい百姓の娘を娶ってやるのだから、って。旦那さんはこのお腹の子が欲しいのよ。奥さんに子供が出来なかったから」
とたんに茜の小さな目が尖り、こぶしを震わせ憎々しげに声を震わせた。
「好きなようにもてあそんどいて、『娶ってやる』なんて。いったいあたしに何ができたっていうの?」
そして疾風を見上げた。
その目の真剣さ。疾風にはとっさに、これから茜が言おうとしていることがすべてわかりすぎるほど、わかってしまった。
「私……ずっとあんたが好きだった――旦那さんに嫁いだら、もう帰って来れない。あんたとのこと、一生の思い出にする、だから……だから、疾風……」
そう言うと、茜は再び疾風の胸にしがみつくようにし、片手で疾風の二の腕あたりをぎゅっと握った。
そして積極的に藁の山の方に誘うと、疾風の腕を引っ張りながら身を落とす。
あたりはしんとし、藁山のかさこそという音がやけに大きく聞こえた。
春の夜気はまだ冷える。
それでも疾風の体はすでに火照っていた。
自分の手を握る茜の手も、熱い。
ついに疾風はためらいながらも膝をつき、茜の上に屈み込むような形になった。