第百六十六話 希代の薬売り(四)
全身を土の温かさが包んでいる。
さわさわと草が風に揺れる音がし、急に草の青い香りが強くなった。
そして、「紫野、紫野」と自分を呼ぶ声に薄っすらと開いたまぶたから、はっきりとした光が差し込んできた。
「高……香?」
ぼやけた紫野の焦点は、しかしかろうじて高香の白い影を映していた。
高香の手が、そっと頬に触れてくる。
「大丈夫か、紫野」
そのとたん、紫野ははっと思い出し、目を見開いた。
(そうだ、俺は……ハナカゲから落ちたんだ。――あいつらは?!)
反射的に起き上がると、頭の奥がずきりと痛み、紫野は思わず「うっ」と声を漏らして両手で頭をささえた。
(重い……まるで鉄の兜をかぶせられたみたいに)
「慌てなくていい。まだくらくらするだろう、ゆっくり休んでいるんだ」
紫野は恐る恐る目を開けた。
すると今度ははっきりと、高香と、森の小道と、静かに草を食んでいるハナカゲが見え、紫野は驚いて言った。
「高香、あいつらは? あいつらに何もされなかった?」
高香は竹筒に入れた水を差し出しながらにっこり笑い、
「ああ。みんな逃げていったよ、おまえや私にはもちろん、ハナカゲにさえ手も出さずに」
と言う。
紫野は不思議そうに首をかしげ、それでも竹筒の水を喉を鳴らして一気に飲んだ。
しばらくして二人はまたハナカゲに乗り、山道をゆっくり進み出したが、高香の前に座り頭を高香の胸に預けるようにしていた紫野が口を利いた。
「あいつらはなぜハナカゲをあきらめたのさ?」
紫野の頭の上で高香はちょっと沈黙したあと、
「彼らはおまえが馬から落ちたのを見て驚いたのだ。それにハナカゲが怒って、ものすごく大きな鼻息を立てながら追いかけたからね。よほど恐い馬だと思ったのだろう」
と言った。
「ふぅん。でも、俺……」
紫野は下を向いた。
「……俺、虎太郎から高香を守るつもりでついてきたのに。役に立たなかった……」
そう言ったとたん、悔しさがこみ上げたのか、紫野は涙をこぼした。肩がひくっと揺れる。
「紫野……」
高香は激しく動揺する胸を抑えられない。